わかやま塾

  6月21日夜、第1回目の「わかやま塾」が開講しました。
 50歳未満の有為の県民の方100名に、月一度第3金曜日に集まってもらって、半分はこれから世界で活躍していく上で必要な知識の取得、半分はそのための気概を持ってもらうための先人の苦労話又は忠告を聞いてもらおうというものです。塾長が私、塾頭として中野BC社長であり、経営者協会会長等の時も後進を育てることにとても熱心であられた中野幸生さんに、一肌脱いでいただきました。また、県庁企業振興課がサポートしてくれています。
 どうしてこのようなプロジェクトを始める気になったかという点については、第1回目の「わかやま塾」の冒頭の説明で私が語りましたので、以下に掲げます。

「和歌山県がこれから発展するためには、若い方々の力がどうしても必要だと思っています。和歌山を発展させるために、企業誘致など一所懸命やってまいりました。それなりに成功し120社くらい新しく来てもらう企業が増えました。けれどもやはり和歌山発展の大本命は和歌山に由来する、和歌山に住む若い方々が、それぞれの立場で大いに活躍し頑張れるというのが本流だと思っています。
 統計を紐解いてみますと、和歌山県には栄枯盛衰の歴史がありました。例えば、鉱工業生産高、製造業のシェアがそれぞれの時代を背景にしながら大きく上下しています。これはどういうことかというと、産業構造が変わっているのです。かつて和歌山は、先達により繊維産業などを中心として軽工業をどんどん発達させました。それで割と栄えたところです。そこでのんびりしていたら重化学工業化が戦前の世界でも進み、立ち後れてしまいます。ところが日本全国焼け野原になり、もう1回頑張りました。その結果、あっという間に底力がでて、22位くらいになりました。ところがまた産業構造が変わります。戦後、和歌山が、何故伸びたかというと、住金、東燃、花王や三菱電機の発展、そして繊維産業とか雑貨の伸びが合わさって調子が良くなりました。しかし、そうした業種は、昭和50年以降、古い産業に位置づけられて、電子産業とか自動車産業が伸びてきた。そして日本の経済発展をリードしてきました。それに和歌山が合わせられたかというと、そうではなくて、あっという間に置き去りにされたというのが和歌山の昭和50年から平成10年くらいまでの間の出来事であったのではないかと思います。
 要するに皆さん、創業者の2世の方もいらっしゃるだろうし、会社に勤めておられる方もいらっしゃるだろうし、地方公共団体のスタッフの方もいらっしゃると思います。そういう方が、一度守りに入って、まあこんなもんかな、親から引き継いだからそのままでも大丈夫だろうなどと思っていたら、20年も経ってしまうと、あっという間に世の中から置いていかれているという可能性があるということです。したがって、自分も変わりながら発展していかなければならない、そういうことが、大事だと思います。
 産業構造とともに地域構造も変わります。天下無敵の日本産業がどこかの国にやられたということがいっぱい出ている。マクロ的にみて世界は変わっていく、世界の中での和歌山の位置づけは変わっていく、それを把握しておかないといけないということです。
 そういう意味で我々は、いろんな変化の中で生きていかなければならないと思っています。その際、和歌山の先人は、みんなその中で頑張ってこられたと思います。ここにいらっしゃる島師範(島精機製作所社長)にしても、角谷師範(サンコー相談役)にしても、中野塾頭(中野BC社長)にしても、創意工夫しながら考え、必死で働いて現在に至っているわけです。それが、塾生の皆さんに出来ないわけがない。
 つまり、皆さんのような方々をどうしたら和歌山の次の時代を背負ってもらえるような逸材になっていただけるのかということを考えて、このわかやま塾を始めることにしたわけです。そのためには、必要なことは、頑張ろうとする気概とこの世界で生きていくための周りを見るための知識です。前者は立派な先輩の苦労話を聞くことにより、後者は全国レベルの一番ふさわしい講師を私が呼んでくることによって修得可能としました。
 また、この構想は2年程前からあったのですが、維新塾とか嘉田塾とか自分に共鳴する政治家をリクルートするための試みがあったので、これと混同されて、仁坂も政治グループを作ろうとしているのかと思われては片腹痛いので、しばらく延期していました。
 趣旨はこういうことですが、皆さんしっかり頑張って下さい。」

 年間のプログラムは以下の通りですが、プログラムの内容と講師陣は、日本中の同種のセミナーなどに比べても、引けを取らず、日本一のレベルと自負しています。
 開始時間が19:30と少々遅いのは、県内すべての地方から集まっていただくためには、その方が良かろうと思ったのと、塾生諸君も、立場上、夕方には様々な「会」があり、そちらに顔を出してから、出席していただくのにも便利だと思ったからです。また、毎回全体のプログラムが終わってから私や中野さんと膝をつき合わせて議論が出来るように交流会を開くことにしていて、これは大人数だといけないので15名ずつぐらい希望者を募ってやろうということになっています。

 第1回目では、私のオリエンテーションの後、中野塾頭の講義「人も企業も商品も変わらなければ捨てられる」と小林師範(近畿経済産業局長)の講義「世界経済情勢について~日本の位置づけ~」がありました。
 この講義の前には、35名程度の出席者から、自己アピール1分間スピーチとしてもらいました。皆さん中々問題意識を持って参加して下さっていると頼もしく感じました。
 この「わかやま塾」の参加者の中から将来和歌山を、いや日本を背負って立つような人が現れて、世界をリードしていってほしいものだと秘かに夢見ています。

【わかやま塾】年間スケジュール は 『 和歌山県情報館 知事からのメッセージ 平成25年6月 』 をご覧ください