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仁坂吉伸の思い

パクスジャポニカ

2013年09月02日

 パクスアメリカーナという言葉があります。パクスロマーナ、すなわちローマ帝国の支配力の下での世界の平和をもじって、アメリカの力の支配の下での世界の秩序といった意味です。それではパクスロマーナが何故可能であったかと言うと、ローマが軍事力、経済力を駆使して、周辺諸国の番人となり、あるいは、彼らに何らかの譲歩をして全体の秩序を維持してきたからなのです。第2次世界大戦の後の世界の秩序は基本的にはこのパクスアメリカーナで、一時はソ連など共産圏の台頭によって米ソ二大勢力による東西対立の時代もありましたが、共産圏の没落によって米国の一人勝ちになり、その頃からよくこのパクスアメリカーナという言葉が使われるようになりました。やはりこの時、アメリカも世界の警察官よろしく世界中ににらみをきかせてきましたが、そのためには世界中の争い事を抑えつけるための膨大な軍事支出と人的、物的犠牲を払ってきたからでしょう。すなわちパクス○○が可能であるためには支配的な国が貪欲に他を収奪するのではなく、自己の利益を少し犠牲にしても他国に譲るという事が必要なのです。今は、米国の力も相対的に少し縮小して、新しい世界秩序を世界が模索しているということでしょうか。

 でも本当に世界はパクスアメリカーナだったのか。私は80年代から90年代にかけての世界の中で、少なくとも経済はパクスジャポニカであったのではないかと思っています。
 私は、ちょうどその頃、通産省の役人で、割と通商政策に携わる事が多かったから特にそんな実感があります。当時は今と違って日本の産業界は全体としては無敵で、あちこちで競争に勝ちすぎるものだから貿易摩擦が起きていました。その時、相手国の産業界からは、こんなに日本に負けるのだから、この際自由貿易制度など全部止めてしまって、市場を閉鎖せよという意見が出てまいります。日本は自由貿易でこうしてうまくやっているのだから、この自由貿易制度という土俵が壊れてしまったらえらいことだということで、様々な手を使って、相手国の産業界をなだめ、日本も大いに購買力を発揮して輸入も増やし、何とか総体としての経済的メリットを失わないようにしようというのが我々の考え方でした。そのためには個別の局面では譲るべき所は譲り、輸出の自主規制とか輸入拡大政策国内の購買力を高めるための内需拡大などを当時の我々は追求していたのです。全体の秩序は、強いものが多少譲らないと維持できないのはパクスロマーナの時でも明らかでありますが、あの80年代-90年代の一時、日本はその経済的メリットを一部他国に譲り渡す事によって世界の貿易秩序を守ったのでした。その意味において私はパクスジャポニカの先兵の一人だったと、まぁそう考えると、少し生意気すぎるでしょうか。

 しかし、時は移り、日本は今はパクスジャポニカで世界経済を支える力はありません。なのに鳩山元首相などは一種の「贅沢病」から抜け出せず、やたらと自己犠牲的カードを切りたがっていたことは、随分前に書きました。今は、日本以上に、台頭した中国が世界中でプレゼンスを高め、自由貿易の恩恵を享受しているのです。そういう意味で、本当は中国には、パクスチャイナとして、世界の経済秩序を守るためある程度の自己抑制と自己犠牲が必要なのですが、残念ながら、その度量が伺えない分だけ、世界秩序に不安定要因が漂っています。いい意味で世界の強者中国には、パクスアメリカーナやパクスジャポニカの真の意味を知ってもらいたいと思います。

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