ブラジルワールドカップ ニッポンがんばれ

5月28日と29日の両日、(公財)日本サッカー協会による熊野三山必勝祈願が行われました。川淵三郎日本サッカー協会最高顧問(キャプテン)御夫妻と田嶋幸三副会長がお見えになり、熊野那智大社(那智勝浦町)、熊野速玉大社(新宮市)、熊野本宮大社(田辺市本宮町)(参拝順)と青岸渡寺(那智勝浦町)にて必勝祈願をされましたので、私も28日だけお付き合いをさせていただき、必勝を祈願してまいりました。

 

また、那智山に登る大門坂駐車場には、なでしこジャパンのワールドカップ優勝とロンドンオリンピック銀メダルを記念して、監督、選手の足形、手形が刻まれた「なでしこジャパン記念碑」が川淵キャプテンの御協力で今年3月から出来ているのですが、そこを御一行に見ていただきました。さらに、この那智谷一帯は2011年の紀伊半島大水害で大変な被害に遭った所で、寺本町長の奥様、お嬢様など多くの方が犠牲になった所ですが、川淵キャプテン御一行はここに建立された慰霊碑に参って手を合わせて下さいました。

 

もうよく御存知の方もいらっしゃると思いますが、日本サッカー協会が必勝祈願にお見えになるのは、全国の神社仏閣を順番にというものでありません。日本代表チームのユニフォームに燦然(さんぜん)と輝くシンボルは、熊野三山を表す「やたがらす」なのです。この三本足の神のお使い、「やたがらす」は、神武天皇が苦戦の末、熊野から大和に北上する時、道案内をしたと言われているカラスで、古来熊野三山の守護として大切にされてきました。約束を破って嘘をついたら罰が当たるぞという大切な証文に熊野牛王符がありますが、この牛王符にも「やたがらす」が何羽もデザインされています。それでは何故この熊野のシンボル「やたがらす」が日本サッカー協会の守り神なのかというと、那智勝浦町に明治に生まれた中村覚之助さんの活躍があったからなのです。中村覚之助さんは明治11年の生まれですが、東京高等師範学校の学生だった頃、サッカーというものに日本で初めて目覚め、その頃横浜にあった外国人チームと日本で初めてサッカーの試合を組織したという日本サッカー界の草分けに当たる人なのです。その中村さんを偲んで中村さんの出身の熊野の守り神「やたがらす」が日本サッカー協会のマークとなったというわけです。

 

最近、ワールドカップなど大事な大会の前には、日本サッカー協会は、その要人を必ず派遣して必勝祈願に見えてくれています。そのおかげでしょうか、近年のサッカー界の活躍は目覚ましいものがあります。前回の南アフリカのワールドカップの時もグループリーグは悠々突破したし、なでしこジャパンの女子ワールドカップ優勝は日本中を歓喜の渦に巻き込みました。偉いのはなでしこの澤さんで、ワールドカップの後、お礼に熊野三山にお参りしてくれました。そういう立派な心がけの方には、その後のロンドンオリンピックの健闘も当然かと思います。

 

人事を尽くして天命を待つ。ザッケローニ監督率いる日本代表チームの猛練習と戦術に加えて、この必勝祈願も必ずや好結果をもたらしてくれると信じます。熊野はよみがえりの地です。既に、御利益か、長谷部、吉田、内田ら故障選手がよみがえってまいりました。

健闘を祈りたいと思います。

皆さんも、日本チームの必勝を期して是非熊野三山、青岸渡寺にお参りにお越し下さい