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古屋圭司前防災大臣のお話
2014年10月13日
和歌山県では、東京事務所が中心となって、国の動向の把握に努めていますが、その中で去る10月8日に開催された自由民主党国土交通部会で土砂災害防止法の一部改正法案が了承されたという報告がありました。その中でこの8月の豪雨と広島市北部での土砂災害の発生以降、同法案の改正を主導された古屋圭司前防災大臣が発言され、空振りを恐れずに早めの避難の重要性を訴えるとともに、日頃ご自身が肝に銘じているという「災害時にトップ(首長)がなすべき事11箇条」披露されたそうです。
次のとおりです。
1.「命を守る」ということを最優先し、避難勧告を躊躇してはならない。
2.判断の遅れは命取りになる。何よりもまず、トップとして判断を早くすること。
3.人は逃げないものであることを知っておくこと。人間の心には、自分に迫りくる危険を過小に評価して心の平穏を保とうとする強い働きがある。災害の実態においても、心理学の実態においても、人は逃げ遅れている。避難勧告のタイミングはもちろん重要だが、危険情報を随時流し、緊迫感をもった言葉で語る等、逃げない傾向を持つ人を逃げる気にさせる技を身につけることはもっと重要である。
4.ボランティアセンターをすぐに立ち上げること。ボランティアは単なる労働力ではない。ボランティアが入ってくることで、被災者も勇気づけられる、町が明るくなる。
5.トップはマスコミ等を通じてできる限り住民の前に姿を見せ、「市役所(町村役場)も全力をあげている」ことを伝え、被災者を励ますこと。自衛隊や消防の応援隊がやってきたこと等をいち早く伝えることで住民が平静さを取り戻すこともある。住民は、トップを見ている。
6.住民の苦しみや悲しみを理解し、トップはよく理解していることを伝えること。苦しみと悲しみの共有は被災者の心を慰めるとともに、連帯感を強め、復旧のばねになる。
7.記者会見を毎日定時に行い、情報を出し続けること。情報を隠さないこと。マスコミは時として厄介であるし、仕事の邪魔になることもあるが、情報発信は支援の獲得につながる。明るいニュースは、住民を勇気づける。
8.大量のごみが出てくる。広い仮置き場をすぐに手配すること。畳、家電製品、タイヤ等、市民に極力分別を求めること(事後の処理が早く済む)。
9.お金のことは後で何とかなる。住民を救うために必要なことは果敢に実行すべきである。とりわけ災害発生直後には、職員に対して「お金のことは心配するな。市長(町村長)が何とかする。やるべきことはすべてやれ」と見えを切ることも必要。
10.忙しくても視察は嫌がらずに受け入れること。現場を見た人たちは必ず味方になってくれる。
11.応援・救援に来てくれた人々へ感謝の言葉を伝え続けること。職員も被災者である。職員とその家族への感謝も伝えること。
古屋前大臣は、私も大臣が自由民主党の商工部会長でいらっしゃった頃からのお付き合いですが、防災大臣としても、和歌山県の政策や提案によく耳を傾けてくれました。この11箇条を見るとまったく同感で、3年前の紀伊半島大水害の時に私や県庁がとっさに行動した内容と、全く同じだなあと思いました。
その後、あの時の教訓を元に、和歌山県の備えは更に強化され、あの時とっさに思いついて無理矢理実行してもらった数々の措置は、今やあらかじめ平時から準備され、いわば常備軍化されています。
しかし、これでまあ安心と思った瞬間に油断が生じますから、古屋前大臣の11箇条を読み返しながらいつも心をオープンにして、欠けたら補おう、風化している所は生命を吹き込み直そうと、自らも心し、職員にもそのように指導していこうと思います。県下の各市町村長さんやその防災担当職員の方々とも、日頃から大変苦労をしておられますが、さらにこの11箇条を読み返して一層のご努力をお願いします。
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