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お・も・て・な・し(その2)
2015年01月19日
ただし、相手の眼で、相手の心でと申しましたが、実はこれがけっこうむつかしいのです。特に我々和歌山人にとっては、和歌山以外の人にどう訴えるかという事が問題になります。善意の人であり、創意と工夫の人である我々は、中々いいアイデアだと思って色々な試みをいたします。しかし、それは、自分の眼で、自分の心で行った事ゆえ、相手にはまったく通じていないという事があります。
恥をしのんで一例を申し上げますと、東京のアンテナショップ、わかやま紀州館です。8年前私が知事に就任しました時、県庁の所管事項説明で、担当の職員が得々と「アンテナショップは『喜集館』と言いまして、公募をして名を決めました。和歌山の紀州と喜びを集めるという意味をかけて喜集館というのです。」と説明してくれました。私は、「我々和歌山の人なら『喜集』というと『紀州』とかけているなと分かるけど、アンテナショップの目的は東京をはじめ全国の和歌山県民でない人なのだから『喜集』と言ったって和歌山のことだと分からないではないか。すぐ直すべきだ」と言いましたが、「外装からパンフレットまでもう作ってしまっていますから、今直しますとずい分とお金がかかります。それに公募に応じた人にも悪いし・・・・・・。」と言われましたので、「うーん」と黙りました。その後、私と同じような指摘をされる投書も来ましたので、「以降、喜集館の前に必ずわかやまと付けてくれ」と命じました。さらに、指定管理者が中小企業団体中央会に替わりました時に時の会長の山下雅生さんから「やっぱり『喜集館』は人には分からない。この際思い切って『紀州館』に変えましょう。」と進言されまして、とうとう「わかやま紀州館」にいたしました。
このところ外国人観光客ブームです。和歌山県もここ数年必死で外国人観光客誘致をしてまいりまして、大分成果も出てきたかなと思います。しかし、まだまだ他県に比べると絶対数が少ないので、さらにがんばるために、27年度また政策を増強します。
その1つが外国語表記の観光案内です。一挙に完備するんだと地方創生の補正予算として国にいただいた予算を当てていますが、この内容について、この相手の眼、相手の心という事が大事だと最近気がつきました。英国人でありながら、長く日本にいて文化財の保存の仕事をしている方にお会いした時、「日本人は、外国語の案内板を作る時、日本人向けに書いた既存の案内板をただ英訳したりするけれど、あれはいけません。外国人は日本人なら誰でも持っている知識がありませんから、英語は分かっても意味が分かりません。」と言われました。なるほど、なるほどです。そこで、今回大量に作る案内板では、こういう過ちを犯すことがないように工夫をしようと思っています。
もっとひどいのは、ひどい外国語です。内容が分からない以上に、言葉として意味不明な外国語表記が日本にはたくさん。かつて某府某市のお菓子のむちゃくちゃな英語の案内書の事を書きましたが、和歌山県でも残念ながら時々見かけます。外国語が書いてあるとかっこ良いという気分で表記しているのではないかと疑うような例がよくあります。考えてみたら日本人のお客さんには意味がないのだし、外国人のお客さんはむちゃくちゃな外国語だと興ざめして皆逃げてしまいます。ただの自己満足、自分の眼、自分の心だけに依拠しているから、こういうことが起こるのでしょう。皆さん、相手の眼、相手の心で対応しましょう。それが「おもてなし」だと思います。
