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仁坂吉伸の思い

おもてなしの心

2015年06月22日

 国体を控えて「おもてなしの心」という言葉をよく言います。国体で和歌山に来て下さった方々に、心から楽しんでもらえるように、不快な思いをさせることがないように、みんなで「おもてなしの心」を磨きましょう、というわけです。
 
 「おもてなしの心」と言う時、純然たる心の中の問題と形式とか儀礼とか作法というような心を表す形の問題と二つあると思います。

(1)純然たる心の中の問題としては、私は、そう心配はしていません。和歌山は昔から高野・熊野の巡礼を受け入れてきた所ですし、海に面した開放的な所ですから、閉鎖的な気持ちから他所者を嫌ったり、排除する人はそんなにいないのではないかと思います。また、一部の大都会の人が田舎者を馬鹿にしたり、地位の高い人がそうでない人を差別したりするようなことも他所に比べると少ないように思います。
 しかし、中には居るかもしれません。そういう外から来た人を差別したり、排除したりする人が一人でも居たら和歌山全体がそういう所だという印象を持たれかねません。あるいは本心から他所者を嫌いなのではなく、あんまり他所の人と接していないのでどう対応したらいいのか分からないから、閉じこもってしまうのが、それが他所の人には感じが悪いととられるのかもしれません。あるいは、性格的に他人に愛想良くするのが苦手という人がいるかもしれません。
 しかし、そういう人でも、他の皆が頑張っているのだから、そういう人のことも考えて、少々努力をして下さいますようお願いします。簡単です。ちょっと微笑んだらいいのです。

(2)次に形式とか儀礼とか作法というような問題があります。心の中は、おもてなしの心でいっぱいなのに、実は相手を不快な気分にさせたり、当惑させたりすることがあります。昔の人が考え出したやり方をあんまり考えずにずっと継承している結果、あらら、これはこれはというような状況になっているというケースが多いようです。
 是非もう一度こういう方法も考え直してみて下さい。これも話は簡単です。お客さんの立場に立ってお客さんの気持ちになって、どうすれば喜んでもらえるか考えたらいいのです。
 私が経験した、あるいはいつも経験している事例を少々挙げてみます。

①クールビズという指定がある会合に行ったら、主催者はネクタイを締めてびしっとしていた事。
  ・・・・これはお客さんを騙してやろうというのではなく、偉いお客さんに「どうぞお楽にしていて下さい」と考えてクールビズと申し上げたが、そんな偉いお客さんに来てもらう時にはせめて正装していないと失礼だと考えて主催者の自分たちはネクタイを締めたのだと考えられます。
  しかし、お客さんから見ると、主催者がネクタイを締めている会合に、ラフな格好で出かけたのは、大変失礼だったと逆に当惑してしまうことになるのです。だから、主催者が今日はクールビズと決めたら、自分たちはそうしておいて、後はお客さんに任せればよいのです。お客さんがネクタイを締めてきても良いのです。主催者への敬意という点から、「オーバードレッシング(より高いレベルの服装)は別に構わないんですよ。アンダードレッシング(よりラフな服装)は主催者に失礼ですけどね。」とは、ブルネイ時代の英国大使が私に言った言葉です。

②ホストがその役割を果たさない時
  主催者(あるいは主催団体の責任者、これをホストと言います。)は、その会合がうまく行くように配慮して、その場を取り仕切る責任があります。ところが、往々にしてそれを欠く奇妙な行動が観察されます。大事なお客さんをお迎えする時、歓迎の夕食会などが開かれます。その時ホスト(又はホステス)は、歓迎の言葉を述べて食事をお勧めし、お客さんの中の主賓が、「ありがとう、もう十分、それではこの辺で。」と言う素振りを示したら、「それではこの辺でどうもありがとうございました。」と締めなければなりません。ところが往々にしてよくある事は、進行係と言うべき人間が横から、さあ挨拶、さあ乾杯、さあお開きと大声でその場をコントロールしようとする事です。
  県庁の場合も、ある時皇族をお迎えして私がホストとして夕食会を開き、その地の町長さんや議長さんも加えて、座が大変盛り上がっている時に、末席に座っていた某部長が突然大声で「宴たけなわでございますが、この辺でお開き」を叫んだのでした。大人数のパーティーなどでは、こういう司会も必要ですが、少人数の着席の食事会の場合は、むくつけき司会が横からしゃしゃり出ては、せっかくの良いおもてなしムードがいっぺんに白けます。
  同じような事は、大パーティーの場合にも起こります。大パーティーは大抵立食ですが、ごくたまに、偉い人に立たせてはいけないと、偉い人だけ着席スタイルにする事があります。(私はそういう人だけが威張っていると見えるような気がして嫌いですが)ところが、ホストは、私なんかそこへ座るような身分ではないと遠慮するのか自分はどこかへ行ってしまうことがあります。その結果、偉いお客さん達は、世話をする、正確には世話をすることを手配する人がいないまま取り残されるのです。善意によってそうなったと思いますが、これぞおもてなしの心からすると最悪の事態です。

③式典で「拍手はあとでまとめて」と司会に強制される事
  式典が成功するためには、出席者が心が通うような状態であることが大事です。共感を皆が持てるようにする事です。その際拍手や笑顔がその重要な手段でしょう。ところが、多くの式典に出席していると、司会が来賓の紹介をする場合、拍手は最後にまとめてお願いしますという場合があります。そうすると、来賓が立ち上がって会釈をしているのに参加者は拍手をすることも出来ず、言わば来賓をシカト(無視)したような結果となるのです。シーンとして白けます。心ある出席者は皆当惑しているのですが、司会の言葉は主催者の言葉ですから、主催者に敬意を表するという観点から、司会に逆らって拍手をするわけにはいきません。これはおもてなしの心から和歌山の悪習だと思い、県主催の会合では絶対やめよと命令したところですが、それぞれの主催団体の場合でも、よくよく考え直されたらいかがでしょうか。多分拍手を一々されたら進行が遅れると思うからでしょうが、実際にやってみると、司会がどんどん名を告げていけばそんなに時間は変わりません。少なくとも白けと当惑はなくなるはずです。
  これほどひどくはありませんが、来賓として紹介されて、求められて一席挨拶をして座っていたら、来賓は紹介でもう一度紹介されて礼をさせられるというのも、何か居心地の悪いものです。県主催の場ではこれも止めさせています。

(3)最後にもう一つの問題として、相手の立場に立っていないため、相手にとても不快な目にあわせているケースというのもあります。
 県庁の職員がバスで経験したことですが、遠来のお客さんと思われる人が駅からバスに乗り、運転手さんに「和歌山城はどこで降りたらいいのでしょう」と聞いたところ、運転手さんは「なんでそんなわかりきったことを聞くのか」と言いたげな、つっけんどんな、不機嫌そうな口調で「公園前」と言い放ったそうです。
 我々和歌山市に住んでいる者は、和歌山城がどこにあって、どのバス停を降りたらいいのかぐらい誰でも知っていますが、他所から来た人が知っているはずはないのです。バスの運転手さんからすると、「和歌山城はどこで降りるのか」というような馬鹿な事を何で聞くんだと不機嫌になったのでしょうが、他所から来た人は、本当に知らないから聞いているのです。こういう場合相手の立場に立って、対応をしてみるというのが「おもてなしの心」に適うのではないでしょうか。
 同じような問題は外国人に対するパンフレットの作り方、説明看板の作り方にも言えると思います。日本についての予備知識がない外国人に各所案内で「豊臣秀吉に焼き討ちされました」といきなり言っても何の事やらわからんのではないでしょうか。我々日本人は豊臣秀吉ぐらいは知っていますが、外国人は豊臣秀吉と言っても何のことか分からないと言うのです。この事は今売り出し中の(株)小西美術工藝社 代表取締役社長のデビッド・アトキンソン氏に指摘をしてもらいまして、なるほどと思ったので、今回地方創生のお金を国からもらって一挙に立てる外国語表示の案内板の書き方については、アトキンソン氏に知恵をお借りしているところです。

 県民の皆さん、以上長々と書きましたが、皆さんの「おもてなしの心」を一層磨いて下さるようお願いします。

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