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仁坂吉伸の思い

トルコでの「エルトゥールル号セミナー」

2015年10月13日

top 10月12日、トルコの首都アンカラにある土日基金文化センターに行って、125年前に串本町大島沖で起こったエルトゥールル号遭難事故についてお話するとともに、和歌山県・串本町におけるトルコとの交流や、映画「海難1890」の紹介をしてきました。

■以下、スピーチの全文です。

「友好はこの海から始まった~エルトゥールル号遭難事件の舞台 和歌山県~」

トルコと日本は大変良好な関係を築いています。

本日はこの友好のきっかけとなった「エルトゥールル号遭難事件」について語りたいと思います。この事件の舞台となったのが和歌山県なのです。

 

「物語の舞台 和歌山」

最初に、物語の舞台となった和歌山県についてご紹介します。

日本地図の中で、赤くマークをしているところが和歌山県です。遭難事件が起こった串本町は和歌山県の一番南の先端にあります。

和歌山県は関西国際空港のすぐ近くにあり、空港から和歌山市まで電車か車で30分です。関西国際空港にはイスタンブールから毎日トルコ航空の直行便が飛んでいます。

和歌山市からは串本まで、車でも電車でも約2時間です。

 

「季節の移ろい 和歌山の春・夏・秋・冬」

和歌山県というのはどんな所でしょう?

和歌山県では、春夏秋冬それぞれの魅力を堪能して頂けます。

左上から和歌山城の春の桜、夏の白いビーチ、秋の山の紅葉、そして冬の高野山の雪景色です。

 

「和歌山の自然 海・山・川」」

和歌山県は特色のある地理に富んでいて、綺麗な海、豊かな山々、美しい川が沢山あります。

 

「温泉王国 海・山・川の癒しの湯」

トルコにも温泉があるとお聞きしていますが、和歌山県は日本有数の温泉地として有名で、多くの観光客が温泉を目的に訪れます。

自然に囲まれながら入る暖かい温泉は、全国各地から訪れる多くの観光客を癒しています。

海の温泉、川の温泉、洞窟の温泉と色々あります。

 

「美食の宝庫 和歌山で味わえるグルメ」

和歌山県はユネスコ世界無形遺産となった日本食の宝庫です。

名産の温州みかんをはじめ様々フルーツを生産しています。仏教の修行僧が食べる魚や肉を一切使わずに調理されたおいしくて体に優しい「精進料理」など特色のある美味しい食事が楽しめます。

温泉に入った後に温泉旅館で食べる旬の海の幸や山の幸をふんだんに使った夕食は格別です。

 

「ユネスコ世界遺産 “紀伊山地の霊場と参詣道”」 

和歌山には世界に誇るユネスコ世界遺産“紀伊山地の霊場と参詣道”があります。ミュシュラン・グリーン・ガイドでも最高の3つ星に評価されており、各国からの旅行者が急増しています。

これは仏教の聖地「高野山」と熊野信仰の聖地「熊野三山」とこれらを結ぶ熊野古道などの参詣道から成り立っていて、日本人は古くからこのような道をたどり、魂の救いと心身のよみがえりを求めて高野へ、熊野へ参詣していました。

今や、そのスピリチャリティが評価されて、たいへん多くの外国人が高野、熊野に訪れています。

 

「エルトゥールル号遭難事件発生」エルトゥールル号

その和歌山県で、1890年9月16日、親善使節を乗せて来日していたオスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」は、明治天皇への拝謁を終えて帰国の途中、台風による暴風雨に巻き込まれ、串本町大島にある樫野崎の沖合で岩礁に衝突し、流入した海水により機関部の爆発を引き起こし、沈没しました。

 

「切り立った崖のため、救助は困難を極めた」

写真は遭難の現場となった海域です。

近くにある灯台の灯台守は大きな爆発音を聞いたと言います。しばらくして断崖を這い登ってきたという一人の男が助けを求めてきました。服は破け身体は傷だらけです。難破だ。そう直感した灯台守は地元の住民を集めました。

断崖の下の海岸には、何百人もの男が打ち上げられていました。串本の人々は、真っ暗闇の中で一人一人の生存を確認し、遺体に混ざってまだ息のある者を救助し、大柄なトルコ人を小さい背中に背負って、崖を登りました。傷の手当てをし、生存者の冷えきった身体を抱いて温めるなど、献身的な救護を行いました。

当時の日本はまだまだ貧しく、人々の生活は苦しかったのですが、串本の人々は着物や布団を差し出すだけでなく、非常食として蓄えていた貴重な米や正月のお祝い用の鶏までも彼らに食べさせました。

 

串本の住民による献身的な救護により69名が生還することが出来ました。

残念ながら587名が死亡・行方不明になりましたが、串本の住民は、事故後2週間以上にわたって海の中まで捜索して、遺体や遺品を引き揚げ、丁重に弔いました。

当時の日本人は貧しいながらも識字率が高く、農民や漁民も学校での教養として道徳をしっかりと学んでおり、このように他人を思いやる心の大切さをよく分かっていたのです。

 

事件の通報を受けて、明治天皇から出来る限りの援助を行うよう指示が出され、医者や看護師が派遣されるとともに、衣料などが届けられました。

新聞各社や民間の方が義援金を募り、全国から多額のお金が集まりました。

救助された69名は、明治天皇の指示で当時最新鋭の日本の軍艦により、トルコに送り届けられました。

明治天皇から、「トルコの人々をこれ以上悲しませることのないよう、慎重に慎重を重ねて送致するように」とのお言葉があったと言います。

 

トルコは立派な国ですから、串本の人々のこの行為にはたいへん感謝をし、補償を申し出ました。「救出活動に要した経費を請求されたい。」との手紙が当時の和歌山県知事に届いたのです。

最近になり、負傷者を治療した串本の医師による返信が見つかりました。これには「私たちは元々治療代を請求する気持ちはなく、ただ痛ましい遭難者を気の毒に思い、ひたすら救助を行ったものである。補償はいらないから、遺族への義援金としてほしい」と書かれています。

立派な言葉だと同じ和歌山県民として誇りに思います。日本では、他人を思いやる文化が根付いていて、このように遭難者を助けることは当たり前のことだったのです。

 

「樫野崎に建つエルトゥールル号殉難将士遭難慰霊碑」

事件があった翌年3月、遭難海域を見下ろす丘に、当時の和歌山県知事をはじめ多くの有志からの寄付により墓碑が建てられ、追悼祭が行われました。

写真は、昭和天皇の行幸を記念して1937年に新たに建てられた慰霊碑です。

過去には、ダーヴトオール首相をはじめ、ギュル前大統領、チチェキ前国会議長などトルコからも多くの要人が慰霊碑を訪問されました。

 

この慰霊碑は、地元大島小学校の生徒が定期的に掃除しており、いつも綺麗にされています。彼らは、学校でエルトゥールル号やトルコのことを学んでおり、祖先の勇気と思いやりの心が次の世代に受け継がれています。

 

慰霊碑の側には、記念館とアタチュルク像が建てられています。

記念館は、1974年に串本町によって建てられ、事故から125周年を迎えた今年、大幅にリニューアルされました。

館内では、あの悲劇の模様と犠牲になった方々の写真、そして、この後に登場するトゥファンさん達によって海底から引き上げられたエルトゥールル号の遺品などが展示され、現在に至るまでの友好の歴史が紹介されています。

 

現在に至るまで毎年、慰霊祭の前で慰霊祭が行われており、5年毎には、皇室の要人をお迎えして大規模な慰霊式典が行われています。

125周年を迎えた今年6月には、日本側からは皇族の彬子女王殿下や海上自衛隊幕僚長、トルコ側からはチチェキ前国会議長、ボスタノール海軍総司令官、メリチ駐日大使など多くの参列を得て、式典が開催されました。

残念ながら当日は大雨が降り、式典のためにトルコから派遣されたトルコ軍艦上での式典は中止になり、屋内での開催となりました。写真は5年前の120周年式典のものです。

 

(トルコの人々への敬意)

このようにエルトゥールル号の遭難事件は、587名の尊い犠牲と串本の人々の献身によって日本トルコ両国の友好の架け橋となりました。

しかし、忘れてはならないことは、事件から125年を経た今日に至るまでトルコの人々が串本の民に、日本の人々に親切にしてもらったことを忘れないでいてくれることです。トルコの人々は、このエルトゥールル号遭難事件を125年間もの間、教科書に書き続け、串本の人々の英雄的献身を讃えてくれました。

 

私は、今よりもずっと貧しかった時代において、素晴らしい行為をなしえた先人を持ったことを心から誇りに思っています。

同時に、この悲しくも美しい物語を忘れることなく語り続け、日本に対して好意と感謝を示してくれたトルコ国民に対し心から感謝し、尊敬しています。

 

そして、このことを背景にもう一つの物語が始まったのです。

 

「もう一つの物語~トルコから「救いの翼」~」

1985年、イラン・イラク戦争の最中に、イラクのフセイン大統領が「イラン領空の全航空機を攻撃対象とする」と発表しました。

イランの首都テヘランにいた各国民が次々と自国に避難していく中、テヘランに日本人215人が取り残されてしまいました。

日本からの救援機が来ないとわかり、絶望におちいっていた時、立ち上げってくれたのはトルコでした。

トルコ航空機をテヘランに派遣し、自国民よりも日本人を優先して救出してくれました。

お聞きすれば、トルコの人々が「あのエルトゥールル号の日本の人々が困っているのだ。今こそ助けるべきはトルコ人の我々だ。」そう言って、トルコの人々はトルコ航空機2機をテヘランに飛ばしてくれ、日本人がそれに優先的に搭乗することを許してくれたというのです。

 

我々日本人は、このとき示してくれたトルコの人々の友情と献身を絶対に忘れてはならないと思います。今度は我々がトルコの人々への感謝を語り継がなければならないのです。

今や日本でも国の教科書や、和歌山県で独自に作った道徳の教科書に、このエルトゥールル号とテヘラン事件の2つの話が載せられています。子供達がトルコへの友情を持って育っていくのです。

 

ポスター「エルトゥールル号の物語再び~日本トルコ合作映画『海難1890』~」

この二つの物語を元にした映画が日本とトルコとの共同で制作されました。

「海難1890」というタイトルです。トルコでは11月27日、日本では12月5日に公開されます。

この映画の構想は、田嶋勝正串本町長とその大学時代の学友である世界的に有名な映画監督である田中光敏監督との発意で生まれ、それに共鳴した私の協力で始まりました。

その実現には資金手当など多くの障害がありましたが、2013年10月、トルコを訪問した安倍晋三総理とエルドアン首相の映画をぜひ作ろうという合意により実現しました。

両国政府の拠出はもちろん、日本側では日本を代表する企業が資金協力をし、また、これに共鳴する多くの和歌山県民が寄付をし、そしてエキストラとして出演し、映画制作を助けました。

 

写真は、串本町の海岸で撮影を行った際のものです。トルコからは人気俳優のケナン・エジュさんらが出演されています。

撮影中、地元のボランティアによる炊き出しが行われ、トルコから来日したキャストやスタッフのお持てなしが行われました。

 

これはトルコにおける撮影風景です。トルコでもたくさんの人々がエキストラ役として出演し、映画製作に協力してくれました。

田中監督は、私に語りました。トルコでも日本でも最後の撮影シーンが撮れ、エキストラの皆さんにお礼とお別れの挨拶をしていたら、皆さんが涙を浮かべてくれていたのを忘れられないと。

 

両国の友情の物語を描いたこの映画を両国の人々に是非見てもらいたいと思います。そして、125周年続いた両国の友情をもう一度かみしめてもらいたいと思います。そして、トルコの人々にはこの映画の舞台である和歌山県、串本町を訪れて頂ければと思います。そして、和歌山の人の温かさや自然の魅力をトルコの方々に広く知ってもらいたいと思います。

 

和歌山県の我々もトルコとの友情をいつまでも忘れません。

 

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