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角谷勝司さんを悼む
2016年04月25日
また、一人巨星がおちました。海南商工会議所の名会頭であったサンコー相談役の角谷勝司さんです。後援会でも副会長をしていただいてましたが、それ以上に和歌山県にとっても海南市にとっても素晴らしい足跡を残して下さった立派な方だと思います。
角谷さんは一代で現在のサンコーを築かれた立志伝中の人でありますが、その発展は勿論簡単なものではなく、様々な苦労をし、時には人に助けられながら、今日のサンコーを作り上げられたと伺っています。文才もおありで、そのときの苦労話や助けてもらった人への恩義、母上から諭された人生訓などを、綴った本をたくさん出されています。(「人の心に貯金する」「ひたむきに生きる」など)
また、家族思いでもあり、母上様への思いやご家族への愛情はとても熱いものがあります。とりわけ、近著「八十路の坂にて」には、立派に成長されたご子息であり、現社長の角谷太基さんへの信頼と愛情がにじみ出ていると思いました。
角谷さんの思いは、ご家族や社業ばかりではありません。海南市の発展は常に胸中にあり、その中でも、海南市の若手の方々の活動に深く期待し、その道筋をつけようといつも努力しておられたと思います。海南市が最近一生懸命やっておられる、風鈴まつりや、漆器まつり、家庭用品まつり、さらには全国鈴木シンポジウムなど皆その方向であります。
私に対しても、熱心な後援者としてお助けいただきましたが、その時自分だけでなく、海南商工会議所全体、そして、若手の経営者の皆さんがみんな私と仲良くして下さるように全てお膳立てをして下さったと思っています。
本当にありがとうございました。
ご病気を自覚されてからの身の処し方も見事の一言です。全て立派な後継を見つけられ、始めたお仕事やプロジェクトが今後うまく行くように道筋をつけられてから逝かれました。心からご冥福をお祈りします。
ただ、社業は勿論、角谷さんが育てられた海南市の若い方々がどんどん立派になられています。角谷さんは天上からその行く末を安心して見守って下さることができると思います。私も角谷さんともう親しくお話しできなくなったことは辛いでのですが、角谷さんの恩義と教えを忘れないで、海南のため、和歌山県のため頑張らないといけないと思います。ただ一つ心残りは角谷さんの念願であった鈴木屋敷の再興をご存命中に果たせなかったことです。
いずれ完成しますので、天上よりご覧下さい。
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