「ここには何もなくて・・・」

 先般南紀熊野ジオパークのシンポジウムが古座川町でありました。南紀熊野地域は、プレートの沈み込むところでできた付加体や前弧海盆、さらには大昔の巨大火山活動の証拠である火成岩が織りなす世にも珍しい地質の地域で、そのため、各地であっと驚くような美しい景観や植物層が発達し、その上に特有の生活や文化が繰り広げられ、熊野の霊場や参詣道が発達するなど人々が営々と暮らしてきた所です。一面では、人々は常に南海トラフの大地震や津波におびえながら暮らさざるを得ないのですが、その反面、同じ大自然はこの豊かな景観と観光資源を我々にもたらしてくれているのです。南紀熊野地域は平成26年に日本ジオパークの仲間に入れてもらい、将来的にはユネスコの世界ジオパークも視野に入れていこうと思っています。
 このような時に、地元の人々が盛り上がる中で開かれたシンポジウムですが、今回はユネスコグローバルジオパーク評議員を務めておられる産業技術総合研究所地質情報研究部門の渡辺真人さんにメインの講演をお願いしました。渡辺さんのお話は、全部おもしろく、為になったのですが、一つ耳に残っていることがあります。
 それは、既に先行して世界ジオパーク入りを果たしている糸魚川ジオパークの人々が、世界ジオパークに認定されたので、それが地元の方々の誇りになって、そんないい所なら地元へ帰ろうと若者が帰ってき始めたそうだと言われたことです。渡辺さんはさらに語ります。よく日本の各地へ行って地元の人たちと話していると「ここには何にもなくて・・・」とおっしゃる人が多いが、そんなことを言う人ばっかりだったら、若者が皆逃げだしてしまうのではないかと。

 私はまことにその通りであると思います。和歌山でも数え切れないほど、この「ここには何にもなくて・・・」という言葉を聞きました。中には実はこんなにいっぱい自慢するものがあるんだけれど、性格が良いので、謙遜してそういう人が居るのでないかと思います。でもこれは危険なことです。地元の人は実はこんなにいい所やいい物がいっぱいあるんだぞと知っているから、こう言うことは、その人の性格の奥ゆかしさを表しているのですが、そう聞いた人は本当に何にもないのか、つまらない所だなと誤解をしてしまいます。もっとありそうな事は、地元の人々が地元の良さを何も知らないで、本当に何もないと思い込んでいることです。和歌山に関しては、特にそう思い込んでいる県民の方々が多いのではないかと思います。かく言う私がその一例でした。大学で他所に行って、「和歌山ってどういう所かい?」と聞かれると、何も知らないものだから、「明るくて、海も山もきれいだけど、ぼやーんと広がって、のんびりした所だよ」と言っていた記憶があります。知事になって帰ってきて初めて勉強してみると、出るわ出るわ和歌山のすごい所がガバガバ出てくるのです。「和歌山はいい所もあるんだが宣伝が下手で」と言う人は山のようにいるのですが、その人々がいい所を自覚して、口々に語り始めないと、宣伝には絶対なりません。

 和歌山は、今、世界ジオパークを目指しているのですが、同じような地域やもう既に世界ジオパークとして認められている地域に比べても、ジオの要素はもちろん、他の要素でも圧倒的に多くの価値を持っています。世界ジオパークを目指そうとしている地域は、世界文化遺産の紀伊半島の霊場と参詣道とほとんど重なるし、吉野熊野国立公園で認められた景勝地だし、世界ラムサール条約で認定された湿地でもあるし、また一部は日本遺産「鯨とともに生きる」のふるさとでもあるし、世界無形文化遺産「那智の田楽」や、日本無形文化遺産「お燈まつり」を始め、千年以上も続いた歴史と伝統のあるおまつりを大事にしている地域でもあります。産品だって、出身の偉人だって枚挙にいとまがありません。

 だから「ここには何にもない」所ではないのです。素晴らしい所を皆が語らなければならないのです。

 私は、仁坂少年に郷土の事を何も教えなかった当時の教育委員会を、どうして子供達にこの和歌山の素晴らしさを教えなかったか、と恨んでいます。そして、この愚を繰り返さないために、手っ取り早く郷土のことを勉強できる教科書「わかやま何でも帳」を作成して、全中学校で子供達に教えてもらっています。問題は、大人です。そういう大人の方々にも、和歌山についての知識を身につけてもらおうと、この教科書を株式会社和歌山放送から出版してもらって、市販をしています。皆さん、よそから来られた方に「ここには何にもなくて・・・」と言わないで、この本などを勉強してその魅力を大いに語りましょう。
 「ここには何にもなくて・・・と言っていると、子供が逃げていく」というのが渡辺さんの言葉です。