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あなたのお姿は一生忘れられません ~浅井修一郎県議会議長の御逝去を悼む~
2017年03月23日
3月23日、出張先の大阪で、浅井修一郎県議会議長の訃報に接しました。衷心よりお悔やみ申し上げます。
浅井議長におかれましては、先の2月定例会では、お痩せになっていましたので私も大変心配しておりました。
しかし、周囲の方に配慮され、体調不良のご様子を全く見せず、議会の円滑な運営に全力を傾けておられました。まさに、命を懸けて、議長の職責を見事に果たされましたことは、政治家としての鑑であります。
2月定例会が終了し、恒例の御挨拶にお伺いしたときは、「これで務めは果たした。あとは治療に専念するよ。」と私にお気遣いくださり、笑顔を見せてくれましたが、私はご病状などはわかっていましたから、「体調がおすぐれにならぬところ、議長のお務めを完璧に果たされたそのお姿は、私は一生忘れられないと思います。」と申し上げて、御挨拶をしましたが、それが今生の別れとなってしまいました。
永年にわたる議員活動を通して、有田市はもとより県全体の発展のために尽くしてこられた浅井議長の存在は、とても偉大で私も頼りとするところでありました。
浅井議長は、正義感が強く、いつも正論を堂々と主張される一方、人情家で、県民、市民の一人ひとりを慈しみの眼で見てこられた方であると思います。
また、本当に礼儀正しい方で、私はいつも模範にせねばと思っておりました。その浅井議長をなくし、誠にさびしい限りです。
お聞きすれば、お亡くなりになる前日、病室で秘書を通じ、私に対して次のようなメッセージを残してくださったそうです。
『自分の体のことはよくわかり、もうすぐ亡くなってしまうことも覚悟している。
知事部局と議会は、車の両輪とよく言われるが、片方の輪が欠けてしまうことで、知事にはたくさんの迷惑をかけることになる。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだが、許していただきたい。
また、後のことをくれぐれも、よろしくお願いしたい。』
唯々、頭が下がります。しかし、それ故にこそ私たちは、和歌山をこよなく愛された浅井議長の御遺志を継ぎ、県民の皆さんの幸せを願って、県政を進めてまいらなければなりません。あらためて、そう肝に命じました。
県民の皆さんとともに、心から哀悼の意を表します。
