キャリア官僚

 キャリア官僚という言葉があります。主として国家官僚で上級職のことを指します。最近では一種国家公務員として採用された人のことを指す言葉でマスコミなどで平気で使われるので日本人のほとんどの人が知っている言葉ではないかと思います。
 私の好きなテレビの一時間の刑事ものでも、半年ほど前に「キャリア」という番組もありました。これは、警察庁に上級職で入った主人公(玉木宏さんが演じていました。)がわざわざ志願して町の警察署に署長で赴任してくる物語で、現場第一だからと署長自らが町に繰り出して聞き込みをしたり、捜査に首を突っ込むので、高嶋政宏さんが演ずるたたき上げの刑事さんなどと軋轢を生じるが、その正義漢ぶり、人情家ぶりに周囲も段々と理解と共感を持つようになるというお話です。
 一方、「相棒」、「踊る大捜査線」その他多くの番組ではキャリア組の組織幹部は大体は悪い奴で、自らの組織の防衛と自己の立身出世ばかり図っていて、主人公たる熱血刑事などと対立するというような図式になっています。とにかく悪い奴なのです。警察ものでもそれ以外でも、警察キャリア以外の他省庁のキャリアが時々出てきますが、これらも大体は悪い奴で、しかも例外なく偉そうに、威張り散らして感じが悪いというのがステレオタイプです。時代ものでは、大岡越前守とか遠山金四郎とか、一応は今で言うとキャリア官僚ですなという人たちが登場し、ええもんに描かれているのですが、ええもんで出てくる現代劇のキャリア官僚は城山三郎の「官僚達の夏」に出てくる元通産次官の佐橋滋さんをモデルにした人とその仲間ぐらいでありましょうか。
 私は昔このキャリア官僚でありました。上級職国家公務員として通産省で長く働いていたからです。知事になりたての頃、よく私に反対の立場にある人が、「仁坂知事は官僚だからけしからん」と言うようなことが多く、私は、「あれあれ。それって一種の差別だなあ。」と思っていましたが、最近は、もう10年も知事をやっているためか、あるいは私の人柄とか情熱とか能力とかの正体が分かったからか、あんまり言われないようになりました。

 私はこのキャリア官僚という呼称が嫌いです。先述のような悪いイメージを持っている人と思われたくないからかと言うと、もちろんそう思われたくありませんが、それが理由ではありません。この言葉が変な和製英語だからです。キャリア(career)という英語は経歴とか生涯という意味で、そこから職業とか出世とかの意味になり、さらに形容詞として専門的訓練を受けたとか、生涯の仕事としての職業にあるとか、生え抜きのとかの意味になるのです。職業軍人のことをcareer soldier と言ったりします。徴兵制の下で召集された兵隊さんに対峙する言葉です。従って、公務員試験を受けて官公庁に入った人は上級職でも初中級職でも専門職でもすべてキャリア官僚であり、これと反対の概念はポリティカル・アポインティーすなわち政治任用の役人と言うことになります。
 アメリカなどでは、各官庁の上層部はほとんどこのポリティカル・アポインティーで、大統領が替わると、ごそっと政治任用で入れ替わります。職業的公務員、すなわちキャリア官僚は余り昇進はできないのです。私はブルネイに大使で赴任した時、「あなたはキャリア・ディプロマット(外交官)か」とよく聞かれたものでした。聞いた人は、「こいつは、ずっと外務省にいた生え抜きの外交官か、それとも政治任命でどっかから抜擢された奴か」と思って聞いているのです。その時私が和製英語の「キャリア」が頭に染みついている、国際的常識のない人だったら「ワシは通産省に入った上級職じゃど。だから答はイエスじゃ、キャリアじゃ。」と返答して誤解を受けたでしょう。なぜなら、私は、元々外務省に入って何十年も外交官としての経験を積んだ人ではないからです。一方、米国のポリティカル・アポインティーのように、時の首相と仲良しで、民間や業界から大使に抜擢されたわけでもありません。経済産業省から外務省への出向社員だからです。
 従って、私は「キャリア・ディプロマットではないが、キャリア・ビューロクラット(官僚)ですよ。経済産業省から外務省にトレードされて大使になってきたのです。」と説明をすることにしていました。
 以上の理由で、私はこの言葉が嫌いです。同じ意味で使う時は上級職とか一種公務員採用のとか純日本語で正確に述べています。

 このキャリアなる制度は、色々と批判をされながら、少しずつ姿も変えつつ、現在でも続いています。しかし、この制度が少しでも意味があるとすれば、それは、ノーブリス・オブリージュの考えと両方相まったものでなければいけないと思っています。上に立つ者は下に立つ者の分まで、すべて責任をとれ、危機の時は真っ先に突撃して全体のために身を捧げよということです。
 こういう概念を発展させた英国は、日本などとは程遠い身分制階級社会でありましたが、第一次大戦の時、将校の戦死者の割合が、兵隊のそれよりも圧倒的に高く、将来の社会のリーダーになる層の多くを失ったことが、第一次大戦後の英国の衰退の原因をなしていると言われています。将校には特権階級の子弟が多く、彼らはノーブリス・オブリージュの考えのもと、国家危急の時には進んで突進してばたばたと戦死してしまったのです。

 私が1974年通産省に入省した時も、我々はこのような教育を受けました。上級職事務官採用者は各局のとりまとめ課の末席に配属されるのですが、局内のすべての仕事が滞りなく進んでいるかを見届け、局内の誰かの仕事がうまくいっていなければそれを補い、それを確認するまでは帰るな、と言った具合です。2年経つと、どこかの課の総括係長になります。課内には、課長、総括補佐、総括係長という総括ラインがあって、ここに上級職組は配属されるのです。もちろん課内には他の班や係もありますし、人もたくさんいるのですが、総括班は、課内のあらゆることに責任を持ち、仮にどこかの担当の人が機能が弱かったら、それをすべて補って、責任を取るのが上級職の務めだということです。そういう気持ちで、私はずっと仕事をしてきました。従って、テレビの刑事ものなんぞで、キャリア官僚が責任を現場に押しつけて逃げようとしているのを見ると、とんでもないことだとテレビの画面のこちらで憤っています。
 しかし経済産業省でも、これがちょっと高じて、少数の上級職の人たちだけが張り切って仕事をするばかりで、他の職員の能力を十分に生かせていないという反省がしばしば起こり、最近では、この総括班がすべて背負うという制度が随分なくなっているというようなことを聞きます。しかし、キャリア官僚が、彼らはそうでない人よりうんと仮にそうでない人の分まで無条件で責任を取らなくてもよいのだという事になれば、彼らはそうでない人より早く昇進するのですから、ずるいと言わざるを得ないのではないでしょうか。

 私がまだ2つめのポストであった資源エネルギー庁石油部開発課の総括係長であった時、日韓大陸棚石油共同開発という条約、実施法を担当していました。何せ、韓国と仲良くすべきか、中国からの反発をどう扱うか、共同開発とは日本の主権の放棄ではないか、共同開発を決めたのは利権のせいではないか等々、あらゆる問題が吹き出し、あの時の国会では、本件が文句なしに一番政治対立案件、担当している私はほとんどもみくちゃになりました。国会での追求は、ほとんどの党が厳しかったのですが、共産党からも中々厳しい追求がありました。当時の共産党の担当議員は大阪選出の正森成二さんで、弁護士出身で、その国会での追求は理路整然としていて、答える方につめの甘さがあると直ちに答に窮すというシャープな人でした。ある時正森議員に呼ばれて説明に行きました。日本近海の石油の埋蔵状況を教えよということです。私は、知っている限りの情報を持って説明に上がりました。しかし、石油の賦存状況など実は正確にはわからないというのが科学的にも正しい答で、だからこそ分かっていなかった大油田を当てたから大もうけができるということで、冒険的企業家マインドが働いて石油開発事業が進むというものなのです。
しかし、正森議員は初めは、そういう事が分からなかったのでしょう、私のような入省3~4年目の若僧が説明に来て、もっとよく分かっているはずと彼が考えた課長や課長補佐が来ないのはけしからんと思われたようです。そこで怒り始め、私がいくら、これが真実で私が一人で担当していて、かつ課の中では私以外にもっと知っている人などいないのだと言っても信用してくれません。そこで課に電話をかけてもらい、技術担当のやはり上級職の技官の補佐と話をしてもらったところ、私が言っていることが真実だったと、ようやくお分かりになったようでした。そこで急に態度が変わり、「君を疑ったり、軽視して悪かった。でも君は「特権」なのだろう。だから私が怒ったのだよ。」とやさしくおっしゃるのです。ちなみに共産党では上級職国家公務員のことを「特権」と言います。お聞きすれば、正森議員は東大法学部卒の弁護士ですが、若い頃大病をして肺が片方しかないのだそうです。もともと国家に尽くそうとして上級職の国家公務員を目指したが、病のためにやむを得ず断念したのだそうです。だから、「君たち特権は、そうでない人の分もすべて含めて国を背負ってもらわないと困る。それが特権の務めだ。君がこれしか分からないと言うので、他の人の分かっている分も、特権たる者は、すべて勉強して分かっていないと困るじゃないかと言いたくて、君につらく当たったのだ。本当にどこを探しても分からないのだということが分かり、自分が君を誤解していたことが分かった。すまなかったが、君はこれから国家を背負っていく立場にあるのだから、その事をあらためて肝に銘じて、自分が果たせなかった分も含めて頑張ってくれ。」と言われて、ケーキをご馳走して下さいました。共産党では、議員とかの社会的身分より、党内の序列の方が重視されると聞き、そういえば議員より議員秘書の方がえらそうにしているなと思ったこともありましたが、このような事情で、私は、この正森成二さんという代議士を心中大変尊敬していました。
 このキャリアという言葉が町に茶の間に氾濫している現状に鑑み、私の思い出と私の思う事を述べました。要は地位や身分には必ず責任が付きものだということです。そうでなければ、ずるいということです。