違いの分かる男のゴールドブレンド

 昔「違いの分かる男のゴールドブレンド」というテレビのコマーシャルがありました。音楽も、登場する俳優さんも中々魅力的で好印象であったので今でも覚えています。
 私は、コーヒーどころか、お酒の味も、極端な場合は芋焼酎か麦焼酎かの違いも、安ウイスキーと安ブランデーの違いも分からないたちの人間ですが、子供の頃から昆虫採集を趣味にしてきました。何を言ってるんだという飛躍があるようですが、昆虫採集の趣味は虫の違いを見分けることから始まるということで、少しは関係があります。
 人類の文化は違いを認識することから始まったのだそうです。そこいら中にいっぱいいる虫も、よく見ると翅の模様や色彩、体の形などが微妙に異なるものなのです。子供の頃、腕白坊主は、虫をとっ捕まえて、どうだと眺めますが、さっき採った虫と今度採った虫は少し違うということを発見するわけです。どこが違うか、どんどん採ると、始めに捕まえた虫がうんと少なくてほとんどの虫は後で捕まえた虫だなどという事が分かってきます。どうやら、同じように見える虫にも2種のものがいるらしい。そして図鑑で名前を調べます。昆虫分類学の始まりです。もっと採っていくとさらにいろいろな別の種もいることが分かります。珍しい方は特定の場所にしかいないことが分かります。分布の研究の始まりです。さらにどうもあの種は朝しか飛ばないとか、この種は春先しかいないとかが分かります。生態学の萌芽です。さらに、こいつは、こんな所に卵を産み付け、幼虫の形はこいつとあいつはここが異なるということが分かります。発生学の始まりです。
 このように、違いを見分けることによって、科学が始まり、人間が文化的になったのだ、従って昆虫採集は文化に通じるのだ・・・・ こういったことを、教養があり、文化の理解も深く、エッセイも書き、昆虫採集の大好きな福岡伸一さんか、養老孟司さんか、奥本大三郎さんかどなたかが書いておられるのを見た記憶があります。
 昆虫の違いはとても微妙で、驚くほどよく似た別種の生物がたくさん世界にはいます。私なども多少は違いが分かりますが、自分の専門の蝶でも図鑑を見てもどうもその差がよく分からないというものもあります。そういう時は、さらに道を極めた専門家にお願いして、分類(同定と言います。)をしてもらうわけです。
 昆虫採集って、ただの変人の道楽のように思われていますが、実はこのように大変な文化的意義のある営みなのです。子供の頃昆虫採集をしますと、先述のように違いを発見し、それを追求することになりますから、頭がものすごく良くなるのです。昔は、夏休みの宿題などで皆昆虫採集をしましたので、皆頭が良くなったのです。そういう意味で、今の子供はあまり昆虫採集をしませんので、ひょっとしたら頭が十分良くなっていないかもしれません。
 だから、教育熱心な親御さんが今しなければならないことは、子供達を野山に連れ出して、自然に親しませ、自然の中で遊ぶことの楽しみを味わわせ、自然の摂理を身をもって学ばせ、昆虫採集に勤しませなければなりません。そうすると子供は違いの分かる子供になっていくのです。自分の目で見、考え、行動する子供になるのです。
 しかしながら、実際は昆虫採集をしたこともない子供が長じて社会人になります。しかしそういう社会人は、ひょっとしたら、ステレオタイプの事ばかり、通りいっぺんの形通りの事ばかり、教えられた事を黙々とやる前例踏襲型のことばかりをこなす人になっている恐れがあります。でも和歌山県庁の諸君は大丈夫です。自分の目で目標をちゃんと見て、よく考えて仕事をしてくれています。違いの分かる私が保証します。