ヘンリー・ストークスさんと『大東亜戦争は日本が勝った』(2)

 実は私は主旨において、ストークスさんの主張をその通りだと思っています。何故ならばストークスさんの挙げる史実はほとんど既に私の人生の中であちらこちらで読んで、頭に入っていたからです。
 小学生の時に読んだ子供向きの世界史の本に、アジアの夜明けとして、バンドン会議の話が印象的に取り上げられていました。そしてそのアジア各国が西洋各国の植民地から独立できたのは、太平洋戦争(ストークスさんの嫌いな洗脳用語ですが)で、日本が西洋列強を一時的にしろ追い払ったからだと書いてあったのが印象的で、その後強く頭に残りました。その後、この考え方はストークスさんの言う占領軍の洗脳故でしょうが、世の中であまり強調されなくなりました。さらにインドネシアの歴史を少し勉強すると、スカルノ、ハッタの蜂起を助けた大勢の旧日本軍将兵がいたことや、戦犯に問われた今村均将軍がいかにインドネシア民衆に慕われていたかという事を知りました。そして、たぶん大学時代と思いますが、日本の植民地(これもストークスさんに怒られそうな用語です。)投資の収支計算の研究に接し、圧倒的に日本は投資超で、それほど豊かでなかった内地経済から集めたお金を集中的に周辺国に投資し、その回収は投資額にほとんど見合わないほど少なかったということも知り、頭に残りました。スペインやオランダに比べると、現地人の教育にも少しは寛容であったイギリスも、現地に本国と同じ帝国大学や現地人も入れるパブリックスクールを造るなどということは夢想もできなかっただろうということも段々と想像できるようになりました。京城帝国大学、台北帝国大学、建国大学なんてよその国にはありませんよね。
 多くの日本の非道と教え込まされた南京虐殺も、それらしい血なまぐさい要素はあったかなかったかは私は論ずる材料はありませんが、人口20万人そこそこの当時の南京で何故30万人の虐殺が可能であったか、また、もしそれが事実であったとすると、その死体の処理はどうして可能だったのか、考えればすぐにその正体は分かることだろうと思います。
 東京裁判が罪刑法定主義という法律学の常識からいかに野蛮だったかも、法律を勉強した人ならすぐ分かるはずなのに、そういう知識人に限ってその非道さを主張することに口をつぐみました。「だまし討ち」の材料にされた真珠湾攻撃で何人の非戦闘員が犠牲になったか、それに比べて全国各地の大空襲と原爆投下で何人の非戦闘員が亡くなったか。それに対して心優しい我が日本国民は「過ちは繰り返しませんから」で応えました。

 そういう事が頭に入っている人なら、皆ストークスさんの主張には、その通りだと思うはずです。

 それにしてもストークスさんは本当に偉いと思います。ご自身がイギリス人なのに、時々韜晦の言葉も交えながら、自身の信じる真実を一生懸命に論じています。
 日本人でも日本の批判をし、悪口を言う人はたくさんいるじゃないかと言う人もいるでしょう。でもそれは違います。自虐史観を唱え、反省を口にし、日本を批判することが、占領軍の洗脳かどうかは別として、今の日本の大勢だからです。ストークスさんは、自国以外の国を、その国の国民も含めて悪く思うことが大勢となっている中で、高く評価しているのですから。

 ストークスさんのように、我々は大勢となっている潮流の中でも、それは「ほんまかいな」と常に考えなければいけないと思います。それには、新聞やニュースの論調や、テレビのコメンテーターにだまされない知識が必要です。そのためには、すべての人がよく勉強をしなければならないということだろうと思います。そして得られた知識をもとに自分の頭で何が真実かを考えなければならないのだろうと思います。

 とここまで書いていると、お前はあの大戦と戦前の日本の賛美者かという声が聞こえてきそうです。そうではありません。

 戦争は人と人との殺しあいだから、避けるにこしたことはありません。
 私は、平和は唱えていれば達成されるものでもなく、マインドの違う人々の住む国々には抑止力も必要だと考えるリアリストですが、やっぱり、平和も民主主義や言論その他の自由も大事に決まっていると思います。
 ストークスさんの言うように、あの戦争が大東亜戦争という八紘一宇の精神に立脚したアジアの解放戦争であったという要素は認めるにしても、経済力のまったく違う相手と、清水の舞台から飛び降りるように戦争をするという政策は愚としか言いようがないと思います。彼我の経済分析ぐらい戦争遂行には絶対不可欠なのに。日韓併合がストークスさんの説明するような様々な理由があり、日本が世界中で他に類を見ないような同化政策を行い、日本の圧倒的な持ち出しのような投資を行い、韓国の民衆の生活と人権と教育水準を向上することにつながったにせよ、私は、韓国の人々の心を傷付けることになったという一点で、併合する以外の道を選ぶべきであったと思います。
 行きがかり上、日独伊三国同盟を、しかもあんなタイミングで敢行しようとした松岡洋右に対し、ほとんど反対も抵抗もしなかった当時の政府、軍部の人達を恨みます。大東亜共栄圏の思想が全くのプロパガンダに過ぎなかったというわけではなかったとしても、大東亜会議が、大戦も末期の昭和18年末にしか開かれなかったという事実も正しく認識すべきでしょう。

 さらに、大東亜戦争がアジアの解放戦争であったという事が正しかったとしても、我々日本人は、あまり、それをアジアの国々の人に対し威丈高に口にすることはいかがなものかとも思います。その論拠を1つだけ示します。
 第2次大戦前、古い王国であったブルネイは、イギリスの植民地になっていました。そのにっくき英国を一時的に追っ払ってくれたのは日本でした。日本はブルネイの王家を立てて、その権威を尊重し、教育や経済活動の面で数々の善政もしました。当時から住んでいた中国系の人々とキリスト教徒である山の中の原住民は、日本と敵対していまして、数々の惨劇も双方にありましたが、ブルネイの主要民族であるイスラム教徒のマレー人は、一般的には日本軍及び日本人と仲良くしていて、彼らが敗戦直前連合軍に追われて逃げる時、危険を冒して逃亡を助けてくれたりしたのです。したがって、ストークスさんの言うような側面は、ブルネイには大いにあります。特に王家につながるような古くからのブルネイの名門の人々には、それが強いはずであります。
 しかし、私はブルネイの大使に赴任して、しばらくして、そのような名門の家に生まれた政府高官から、暗い表情でつぶやくような次の言葉を聞きました。
「日本軍が攻めてきた時、我々ブルネイの民は皆戦争が恐くて逃げまどいました。そんな中、自分の祖母と伯母はジャングルに逃げ込んで道に迷い、そのためそこで命を落としたのです。」