響け「徳川頼貞」

 紀州徳川家第16代当主の頼貞侯爵(1892~1954)は、日本の近代音楽の発展のために大変な貢献をされた人です。青年の頃から欧州を遊学し、西洋音楽に親しみ、それを日本に定着させようと大変な情熱を傾けた人です。このため、大変貴重な音楽文献を集め、日本で最初の音楽専用ホールを建て、気鋭の若手音楽家のパトロンとなって彼らを育てようとしました。そのためには紀州徳川家の財産が減っていくのも厭わなかったのであります。その業績の多くは、戦災で破壊されましたが、音楽文献のほとんどは、何人かの手を経て、読売新聞社の手で保存され、現在は読売日本交響楽団の所有となっています。しかし、その活用は、本来の読売日本交響楽団の仕事ではないわけですし、読売日本交響楽団の方でもその扱いに苦慮しているという情報を、読売新聞社に奉職している、名古屋支局にいた天野誠一さんから教わって、私はすぐ動くことにしました。できれば、その南葵音楽文庫を全て和歌山県に寄託してもらい、世界の人が利用できるように和歌山県で整理をしてその成果を世界中の人々に発信しようと考えたのです。さらに言えば、和歌山にあの紀州藩の徳川家の遺構がほとんど残っていないのが、常々私は残念に思っていましたので、この南葵音楽文庫が和歌山にあれば、これでようやく徳川家の遺構の一つが再び和歌山に里帰りしてくれたと言い得るのではないかと考えました。
 文書館の山東良朗館長を中心とする読売日本交響楽団との交渉は読売新聞の大変なご厚意で順調に進み12月3日南葵音楽文庫が仮オープンしました。その中心は県立図書館に置かれますが、ベートーヴェンの自筆の楽譜など特に貴重なものは、より保存機能の高い県立博物館で大事に保管するということにしました。そして資料の整理は慶應義塾大学の美山良夫名誉教授をはじめとする専門家にお願いすることにし、整理の終わった資料から図書館の一角で一般公開をすることにしました。もちろん電子媒体での公開も視野に入れていて、世界中の音楽研究家が利用できるようにしていきます。また、この機会を捉えて、県立博物館で記念展示「南葵音楽文庫 音楽の殿様・頼貞の楽譜コレクション」を行い(平成29年12月3日から平成30年1月21日)、人々の関心を高めました。さらに、12月6日には県民文化会館大ホールをいっぱいにして、読売日本交響楽団による記念演奏会が開かれました。川瀬賢太郎さん指揮の下、仲道郁代さんがピアノを弾き、モーツァルト作曲ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」、ベートーヴェン作曲交響曲第5番「運命」のほか、ネイラー作曲序曲「徳川頼貞」が演奏されたのです。これは、音楽の伝道師徳川頼貞侯を讃えて、侯の南葵音楽文庫の資料収集に協力してくれた音楽家エドワード・ネイラーが書き下ろしで作曲した曲で、これまで1920年に一度演奏されただけという曲であります。約100年の時を経て再び陽光の下に躍り出た序曲「徳川頼貞」は素晴らしいものでした。在りし日の写真を拝見すると、侯は常に温和に微笑んでおられ、文化人としてのその特徴から、この曲はきっと穏やかなものであるに相違ないと私は想像しておりましたが、曲を聴いた私の印象は全く違いました。勝手な例えを言えば、トルストイの『戦争と平和』で、強大なナポレオン軍を迎え撃たんとするクトゥーゾフ将軍の心境を思わせるような、激しい、闘志一杯の心を表したような印象を持ちました。考えてみれば、西洋音楽をその伝統のない日本に根付かせるのだという並々ならぬ闘志を徳川頼貞侯は持っていたに違いはなく、もし、それがなければ、あの物狂おしいまでの熱心な献身はあり得なかったと思うのであります。響け!「徳川頼貞」、先祖の地紀州和歌山の地に! 私はそう感じました。演奏日当日どうしても和歌山で演奏を聴けず、前日の総練習を広い観客席で一人でお聴きになった頼貞侯のお孫さんに当たる徳川宜子さんも私と同様な感想を述べておいででした。