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仁坂吉伸の思い

メダルばかりじゃないぞ ― 坂爪亮介選手と田原直哉選手に熱い拍手を ―

2018年04月16日

 和歌山県は南国でありますので、ウィンタースポーツの環境は整っていませんし、伝統的には、それほど強い選手は育ってはいませんでした。しかし、今年の平昌オリンピックには、和歌山県ゆかりの選手が2人も出場し、大活躍をしてくれました。
 スピードスケートのショートトラックの坂爪亮介選手と、フリースタイルスキーエアリアルの田原直哉選手であります。成績は坂爪選手が1,000m5位、500m8位、5,000mリレー7位、田原選手は19位でしたので、メダルには届かなかったのですが、それぞれ見る人を感動させるような妙技を見せてくれました。
 昨今日本では、金銀銅のメダルを取ったということに大変なフォーカスが当たっています。それなりにそれぞれ大変感動があり、我々が見て、応援をしているものは熱狂するわけですが、メダルに届かなかった選手の健闘もすばらしいものがありました。フィギュアスケートの宮原知子選手が大変なけがを克服して自己ベストを出して4位に入賞したことや、同じく肋骨骨折を隠して出場した渡部暁斗選手がスキー複合のラージヒルで、最後の最後に力尽きて、5位に終わった事や、初出場のカーリング男子が優勝候補を次々と破った大健闘など、メダルに届かなくたって、大感動ものの話がたくさんありました。しかし、テレビの報道などでは、メダリストだけがフラッシュを浴び、4位以下に終わった人々はどんなにすばらしい話があってもほとんど報じられなくなりました。
 このようなマスコミのメダル偏重はオリンピックが回を重ねるごとにどんどん高じていっているように思います。

 そんな中、南国和歌山にゆかりの両選手にも大変なドラマがありました。
 坂爪選手は出身はウィンタースポーツの盛んな群馬県ですが、和歌山県海南市の大手ガーデニングメーカーのタカショーがずっとスポンサーをして支えてきた選手です。選手の強化が定着している韓国などと違い、日本で、このスケートショートトラックの世界で坂爪選手のように第1人者をずっと張り続けるということは並大抵のことではないと思います。そういう環境の中でタカショーの支援を受け、前回ソチオリンピックの前には、世界のトップクラスに肩を並べるまでに成長していました。その時大変なアクシデントがあり、大怪我をし、何とか治療とリハビリをしてソチオリンピックに滑り込んだものの、惨敗を喫してしまいます。その後臥薪嘗胆また大変な練習を積み、ショートトラックチームの大黒柱としてこれからの若い選手を引っ張って大健闘してくれました。メダルに届かなかったとは言え、3種目で入賞を果たしたというのは、オリンピック史上に残る快挙だと思います。また、オリンピックとは違いますが、坂爪選手は紀の国わかやま国体でも活躍してくれて、和歌山県の男女総合優勝(天皇杯獲得)に貢献してくれました。さわやかな好青年です。そして、オリンピックが済んでからすぐに行われた世界ショートトラックスピードスケート選手権大会の5,000mリレーで、坂爪選手は他の若い選手のリーダーとして、本当に銅メダルを獲得したのです。

 一方田原選手にも壮絶なドラマがあります。田原選手は元体操選手で、田中和仁、田中理恵、田中佑典の3兄弟を育てた父上の田中章二先生/コーチの教え子です。彼はおそらく田中コーチの育てた、初めてのオリンピック候補者で、北京オリンピックに出場を果たそうと練習に打ち込んでいた選手の一人でした。
 その田原選手に大変な悲劇が襲います。彼は肩を負傷して体操選手としては再起不能になってしまったのです。彼のオリンピックに行きたいという夢は潰えました。しかし、彼はその夢を捨てなかったのです。体操で培った自身の空中感覚を生かすことのできるスポーツとしてこのスキーのエアリアルを志し、それまで一度も触ったこともない雪の長野でアルバイトで生計を立てながら、一からこの技術を学び始めたのです。
 その間、田中コーチの教え子の中で後輩の田中三兄弟がロンドンで体操の華と称えられ、リオデジャネイロでついに田中佑典選手が団体の金メダルを獲得する中で、田原選手は黙々と技を磨き、ついに平昌オリンピックの代表を勝ち得ました。直前にはワールドカップで3位入賞、銅メダルを勝ち取るまでに成長したのです。オリンピック本番では、二本目、見るからに素晴らしい技を見せてくれました。しかし着地で立つことができず、上位成績は逃しました。でも私はあのときの田原選手の空中の回転の美しさを忘れることはできません。
 田原選手の物語はさらに続きます。前の東京オリンピックの時男子団体と吊り輪の金メダルを取ったのが和歌山県出身の早田卓次選手であります。早田卓次さんには大学の先輩として目をかけている後輩がいました。それが田中章二さんであります。早田さんの勧めで、田中章二さんは和歌山で選手とコーチの人生を送ってくれ、多くの選手を育て、スポーツの名門和歌山北高校の教員として、立派な教育者として活躍してくれました。その田中章二さんが育てた田中三兄弟の中の田中佑典選手が、早田選手以来の金メダルを獲得してくれ、いわば三世代にわたる和歌山県のオリンピック物語ができました。
 しかし、それに加えて、田中章二さんの育てたもう一人の選手田原直哉選手が白銀の中平昌の大空を舞ったということを、我々は忘れてはならないと思います。メダルのあるなしにかかわらず。

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