今井総理秘書官の言葉

 文芸春秋6月号を読みました。特集「政と官」の劣化が止まらない、の中の「官邸官僚の研究②」というところで「総理の分身」豪腕秘書官の疑惑というタイトルの記事を森功という作家が書いていて、今井尚哉総理秘書官のことを色々といわくありげに怪しげに書いていました。

 今井尚哉氏は、今は総理の1人しかいない政務の秘書官を務めていますが、もともとは1982年入省の通産省の官僚で、1回目の安倍政権の時に各省から選ばれる事務秘書官の1人として官邸に入り、その後経産省の幹部に戻っている時、もう一度総理に選ばれた安倍首相に任命されて今度は政務秘書官になった人です。私ももちろん立派な通産省の後輩としてよく知っていますが、とても有能である一方、先輩であろうが、政治家であろうが遠慮をしない、よく言えば気骨のある、悪く言えばアロガントと言われそうな、そういう人です。一般にそういう人を私は好きです。
 そういう今井氏も大活躍で、存在感は大きいので、よくマスコミなどに叩かれます。今回の記事もそういう記事のようですが、おもしろいことに、同じ号のこの直後の記事に同じ著者による今井氏のインタビューが載っています。その中で今井氏は、私から見ると理路整然と、いわくありげな憶測を否定して、論理的に真実を解説してみせるのですが、私から見ると、この手の記事でよく起こるように、都合の良いところだけをつまむだけでなく、森功という作家が、今井氏の言い分をちゃんと載せているように思えました。

 その中で、今井氏の発言に感心するような下りがありました。引用します。
「 -政府の中からは今井さんに対して独善にすぎるという批判があります。
今井 僕は自分自身が二つの矛盾した役割を担っていると考えています。一つは、政治家の横暴から役人を守ること、もう一つは役人の怠慢から政治家を守ること。政治家は国民に選ばれなければ失業するんですから、常に必死だし、ときに横暴になる。役人は二年ごとに、何もやらなくても出世していきますからときに怠慢になる。だから、この二つの役割は僕の矜持です。
  この五年間、様々な場面で「どうせ今井の仕業だろう」と黒幕のように見られてきたことは知っています。これはひとえに僕に徳がないんだろうなとは思います。ただ、先ほどの二つの役割に対する思いを変える気はありません。」                  

 私はさすがに今井氏と共感します。同時にそれは大変だろうと同情します。しかし、いつの世でも、この今井氏の語る言葉を実践する人がいるといないとでありとあらゆる組織の機能と成果が分かれてくるのだと思います。そこまで考えて彼はやっているのかと感動します。

 それにしても森功という人は、2つめの記事で、これだけ今井氏に理路整然と語らせておきながら、その内容からすると一笑に付されるべき、彼が1つ目に書いたいわくありげな憶測記事の内容をどうして訂正しないのでしょうか。私が良心のある作家なら、少なくとも反証されている部分は書くのは止めにするか、訂正して自分の記事を書くのになあと思いました。あるいは、そうすると、記事から思わせぶりな、下世話におもしろい部分が消えてしまうので、売れないから困ると思ってそうしなかったのでしょうか。