友は裏切らない

 この言葉を私は、自分を律する規律の一つとして重視しています。友情というと、もっと積極的で、かつエモーショナルな響きがありますが、私は友情を育むという余裕がない時でも、少なくとも友を裏切ることだけはすまいと思っています。
 しかし、私も役人をやったり、知事という政治家を務めたりしていて目に飛び込んでくるのは、友を裏切る人のいかに多いかであります。とりわけ、政党の離合集散がえらい多い中にあって、人気のなくなった政党から逃げ出したり、より勢いのある政党に乗り換えたりする人のことを思い切り目にすることになってしまいました。人間は皆自分が大事だし、特に議員の方々は、それぞれ自らの実現したい理想と抱負があり、自分ならそれを担えるという自負があるのでしょうから、自らが生き残ることが大事で不人気の政党にいるわけにはいかないと考えるのも分からないわけではありません。しかし、それよりは、義に殉じて落日の城を一人になっても残って守るという生き方の方が、私は格好が良いのになあと思います。政党の離合集散が、昔のように意見が対立して袂を分かつといったような理想追求型の色彩が薄れ、政権を奪い返すにはとか、生き残るためにはとかいった色彩が強くなっている気がします。
 しかし、自分の生き残ることばかり考えて政党を離脱した時、残った仲間はどうするのだという思いが、私にはあります。仲間として、同志として、協力者として一緒に頑張ってきた友はどうしてくれるんだと思うわけであります。それでも国のため、世のため、人のため敢えてそうしなければならない場合もあるかもしれませんから、一概に批難はできないのですが、私は、友を裏切るぐらいなら落ちる城と枕をともにする方が格好良いと思う人間であります。

 少なくとも、私は「友は裏切らない」で行こうと思います。私の今を考えた時、通産省で若い時から鍛えてくれた先輩や協力して戦ってきた同僚、頑張って付いてきてくれた後輩が居ます。そういう人々に薫陶を受けたからこそ今の私の知識があり、経験があり、ノウハウがあり、すなわち今の自分があるのだと思うわけであります。また、今は知事として県庁の全職員を率いているわけですが、自分が県政でああしよう、こうしようと思っても、それが実現できるのは、歯を食いしばって付いてきてくれる職員のお陰であります。従って、局面、局面で大議論を戦わせたり、がみがみときついことを言ったとしても、最後は県政に関する限り、全ての責任は私にあると考えて責任を取らなければならない。これが友を裏切らないということだと思っています。
 職員が命令一下一生懸命働いているのに、その案件がはかばかしく行かなかった時、職員が悪いので、自分は頑張っているのだがと外に向かって言ったら、それは友を裏切ることになると思います。

 華々しく登場したある新政権の花形大臣が、報道陣に向かって自らの部下の官僚の悪口を言い募り、それがマスコミの報道を通じその人の人気を高めたことがかつてありましたが、私は、それはとてもいけないことだと思います。大臣は、部下の官僚の生殺与奪の権を持っています。仕事の中味も指令できますし、面従腹背は処罰を以て正せます。すぐには首にはできませんが、人事上の処遇を以て実質的には官僚の生殺与奪を行うことができるのです。だから気に入らなければ、自分が行政の中味を変えさせればよい。そのためには、お互いが納得するまで官僚と話し合えばよいし、最後までどうしても言うことをきかない官僚は移ってもらえばよい。それをしないで官僚の悪口を言い、できないのは官僚が悪いからで、自分は「ええもん」なのだと言うことは、一番ひどい友への裏切りだと思います。

 官僚OBでも、そのタイプの人がいます。官僚を辞め、テレビなどの論客として、あるいは有力者のブレーンとして、あるいは政治家として転身した人が、もとの組織をボロクソに言い、この間まで共に苦労を分かち合ってきた同僚を前例踏襲だけの頭の固い愚かな人々で、自分達の組織のことしか考えないエゴイスト集団のように言ったり、本に書いたりするのは本当に恥ずかしいことだと思うのであります。それも、前の組織で、自分が正義のために一人立ち上がり、他の人々に弾圧されて組織と決別しなければならなかったような場合ならともかく、在職中は、時代の先取りをして構造改革の旗手として、相応のポストに就き、先頭に立って走っていた人が、辞めたとたんに、もとの同僚を口を極めて罵るがごときは、事情を知る人が見たら実にけしからんことだと映ります。世間の風に乗ろうとすると、マスコミなどを通じて、前の組織を悪し様に罵って、自らを引き立てるということがおそらく有効なのでしょう。私の昔勤めていた経済産業省の出身の人でも、そういう人がいるのを発見するのは残念なことです。
 しかし、昔から立派だと思っていた人は、やはり「友は裏切らない」の矜持は持っておられます。それを発見した時、私は、とても嬉しくなります。日本経済新聞がこの間から「政と官 私の意見」というシリーズ特集を載せています。最近の政治主導、特に官邸主導の世界で、官はどうあるべきか、政と官はどのような関係が望ましいかということを識者の意見をもとに追求していくよい記事だと思います。
 その9月17日号に斎藤健農林水産大臣のインタビュー記事が載っていました。斎藤さんは、昭和58年の入省ですから私の9年後輩ですが、在職中からも大変尊敬されている役人でした。課長補佐時代の最後には経産省の採用担当責任者として、後輩を「友」として経産省にお迎えした責任者でもありました。私もそのずっと前、採用のお手伝いを担当していたことがありましたが、その時東大のハンドボール部の学生が面接に来ました。斎藤さんは学生時代ハンドボール部のキャプテンだったのです。どんな人だったと聞くと、「鬼のように怖いキャプテンだったが、親分肌で部員のことをしっかり考えてくれる尊敬すべき先輩でした。」と言っていました。通産省に入る前から「友」を大事にする人だったのであります。
 このインタビューでも、斎藤さんは最近の官僚の状況に心配を寄せる一方で、政治家になって、大臣になった今も自らが官僚であった時も、変わらぬ官僚のあり方についての思いを語っていると私は思いました。「友を裏切らない」斎藤健さんの真骨頂だと思いました。以下に、日本経済新聞の記事を引用します。

(日本経済新聞 平成30年9月17日)

 もうすぐ選挙を迎える政治家としての私も、また多くの友によって生かされています。国政、県政、市町村政を問わず、多くの先輩によって導いてきていただきました。県の経済界や、文化、福祉あらゆる分野で、尊敬できる友に恵まれました。後援会を担って粉骨砕身働いてくれている友もいます。どんなときでも、このような友を絶対に裏切ってはいけないと強く思っています。