労働統計と陰謀史観

 私は、実は、一時間の警察もののテレビ番組が好きで、仕事で遅くなって放映の時間には見られないので、録画をして後で見ています。屁理屈で推理力を磨くためだなどと言っています。警察ものや探偵ものには二時間ものがありますが、たいてい5人も殺されたり、あり得ないようなストーリーが出てくるので、あほらしいと思ってしまうので見ません。最近はこういう警察ものも警察上層部や政治家、高級官僚などの陰謀や組織的隠蔽ねつ造などが底流のテーマになっているものが多く、特に警察庁の公安や公安調査庁などは陰謀だけで暮らしているように描かれて目の敵にされています。警察官僚から県警本部長に来てくれた人にそのことを言うと、「あんまりあほらしいので、私は警察ものは絶対見ません。」と言っていました。私は警察官僚ではありませんが、公安調査庁なども少しだけ知っているので、そんなに陰謀などが容易くできるような実力がある所とは思いません。

 しかし、日本人は特にどこかにこういう陰謀があると考えるのが大好きな国民のようで、権力を持つと皆陰謀をほしいままにするに違いないと多くの人が思っているようです。最も典型的な例は、財務省で森友学園事件の公文書偽造事件が起きた時、ある人が「ああいう大それた事は役人の仲間内だけで起こすはずがない。きっと総理など偉い人が命じたに違いない。」と言ったことでした。私は「大それた事だから、仲間内という社会の中でしかできないんですよ。上から命じたりすれば、すぐ、ばれてしまいますから、ばれないと思った仲間内でないと絶対しませんよ。」と言ったのですが、その仲間内と思った世界の中でも今時のことですからばれてしまいました。

 このようなどこかで陰謀を企む人がいるという考えは、本当に魅力的なにおいがするのか、後を絶ちません。M資金、ユダヤ人の陰謀、CIAの悪巧み、KGBの仕業、ウォールストリートの陰謀、フリーメーソンの謀略等々でありますが、その流れが、森友学園事件、加計学園事件の物の見方などに大きく影響を与えているような気がします。
 そして、人は陰謀を企む者だと決めつけて、ストーリーを陰謀史観で作り上げて、上記の二つで言うと、安倍総理という権力者が陰謀を企んで、悪いことをしているということにしてしまっているというような気が致します。
 それも、熊さん、八っつぁんがしゃべっているのならいいのですが、陰謀史観で騒いでいるために物事の本質が意識されないというきらいもあります。私の見るところ、加計学園事件の本質は獣医師の供給を絞っていることが国全体の社会正義にかなうかということであるし、森友学園事件の本質は、財務局の国有財産の値決めが合理的であったかどうかと言うことだけのような気がするのですが、野党も言い募り、マスコミもそればかり報じるからお友達や夫人との関係で総理が悪事を働いたかどうかが本質だと多くの人が思っていて、この本質論の議論がどうも進まないように思います。

 昨今、労働統計の不正が問題になっています。厚生労働省の統計部局が、自ら決めて、ルール化している方法をサボって、安易な方法で統計を取って集計をしていたのはけしからんということですが、私もけしからんと思います。もちろん、人手が足りないとか様々な問題はありますから、より簡便な方法で統計を作るということは私はあっても良いと思いますが、その時はその統計制度の根幹を司っている人は、まず大いに制度変更の利害得失、生ずる問題の有無などを議論し、この場合は統計審議会など権威のある場で堂々と議論をして、了承をもらい、その上でルールを明確に変更して、その事実を天下に告知してから、実施をしなければなりません。それから統計制度を変えたら、発表された統計値の連続性を確保するために、数学的な補正をしないといけません。それをしないで、ずっと隠れて簡便法で統計を作っていたということはいけないことですし、報道によると担当課長が、自ら決めているルールと違う方法で実施するよう地方公共団体に通達をしていたなどということは言語道断であります。
 しかし、まあ、よく考えてみると、省庁の統計分野でこんなことが行われていることを大臣や省庁の幹部が分かるはずがありません。もちろん、組織の全てのことについての責任はトップである大臣にありますので、「そんなことは知らない。」などと無責任なことを大臣が言ったらいけませんが、この際大臣に一番期待されるのは、部下を指揮して、問題の由来を解明し、再発防止し、必要があれば根本的な手を打つということでありましょう。それを、「責任を取って辞めろ。」という話がオンパレードになっているのは、ちょっと違うのではないかと私は思います。

 更にもっと驚くべき事は、この労働統計の不正は、アベノミクスの成果をよく見せるためにわざとやらせたのではないかという意見が国会で出され、真面目に野党の議員が追及していることであります。私は、「わ!出た陰謀史観!」と思いました。

 いくら安倍総理や政府の方々がアベノミクスがうまくいくことを熱望していても、そしていい経済データの結果が出たら良いなあと祈っていたとしても、それを叶えるために、統計の集計の方法まで変えさせて、ねつ造するでしょうか。そのようなことをするために、一体何人の人を巻き込まないといけないでしょうか。「謀は密なるを持ってよしとする」訳ですから、統計に関するたくさんの職員や学者などの多くの方々まで、陰謀に巻き込んだら、絶対にばれると思わないでしょうか。また統計を意図的にいじくったとすると、他のデータとの関係で、違和感はすぐ出てきて周知の事実となります。今時、政府の公式統計は一つの分野では一つしかありませんが、他の分野の公式統計との整合性がすぐに指摘されるでしょうし、民間のシンクタンクなどから多くのデータが出されますし、各機関がアンケートを結構と取っていてどんどん発表しますから、アベノミクスの見栄えを良くするために、統計の集計をわざと変えることを指令又は黙認するなどいうことをまともな人が考えつくわけがありません。私は昔々こういう多くの統計を遡上にのぼらせ、時にはそれらの整合性も議論しながら経済動向がどうなるかを議論する経済企画庁調査局にいましたから、統計の分野での謀略などいかにナンセンスかよくわかります。

 しかし、こういう政府の首脳に陰謀があったのではないかという話は、テレビ番組の警察ものでもよく取り上げられるように、面白い、面白いと読者や視聴者が思うからか、それとも単に取材をするマスコミのセンスと識見が然らしめるのか、よく登場します。私はこのような陰謀史観ばかりにさらされると、どんどん政治不信が進むし、人々の健全な類推力や批判力が衰えていくと思います。困ったことだと私は思います。
 さらに和歌山県には、昨年から厚生労働省ではありませんが、統計分野のヘッドクオーター総務省統計局の統計データ利活用センターが来てくれて、行政、ビジネスに関する情報の宝庫、統計の個表を縦横に情報処理をすることにより、今まで考えられなかった知見を得ようとする全く新しい分野の仕事がオープンしているのですが、今回の事件で国民の間で統計に関する信頼感がなくなったり、統計というものに対する嫌悪感がでてきたりすると本当に困るなあと思います。せっかく和歌山が統計-統計の利活用-データサイエンスという分野で世に打って出ようとしているのですから。