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仁坂吉伸の思い

中日新聞「和歌山の知恵学べ」

2019年03月18日

 毎日執務室に新聞のクリッピングが届きます。その中にあっと驚く記事がありました。中日新聞2019年2月16日朝刊の「紀州版」に「和歌山の知恵学べ」という見出しで「熊野古道外国人誘客」という見出しも付いた囲み記事であります。「緊縮の現場から 2019年度当初予算案」というタイトルもありましたので、三重県の2019年県当初予算案に関する批評的特集記事であると思います。中味を見ると、三重県の熊野古道には外国人の観光客が少ないが、多く訪れる和歌山県は、特に田辺市が大変な努力をしてきたからだといった趣旨の記事が書かれていました。

 これを見て、私は隔世の感があるなあと思いました。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」は和歌山県、奈良県、三重県の三県にまたがる世界遺産ですが、高野、熊野、吉野という三霊場とそれらをつなぐ参詣道がそっくり世界遺産になっている、世にも珍しい世界遺産です。特に熊野古道を始めとする参詣道は、キリスト教のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道と並んで、世界で2つしかない本格的な道の世界遺産であります。その中で熊野は和歌山県の南部の田辺市、新宮市、那智勝浦町にある熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺、すなわち熊野三山とそれらをめざす参詣道である熊野古道からなっています。熊野古道は、京都から大阪に出て和歌山県の海岸沿いを南下し、田辺市街から東の山中にまっすぐ熊野本宮大社をめざす一番の本道中辺路と海岸沿いをぐるっと回っていく大辺路、更には高野山から紀伊山脈の中心を南下する小辺路、大峰山の修験の道大峯奥駈道、そして、伊勢神宮から海沿いを熊野三山に向かう伊勢路とに分かれます。三重県にはそのうち伊勢路が通っており、三重県の方々は世界遺産認定以来、この熊野古道伊勢路を売り出すために、それこそ本当に知恵を絞って努力されてきました。

 2007年私が知事に就任してまもなく紀伊半島の仲良し三人組、和歌山県、奈良県、三重県の三県の知事が集って協力の方法などを話し合う三県知事会がありました。そこで、私は熊野古道に関する三重県の取組を見て、大変感動するとともに、多少はショックを受けました。既にその時三重県は尾鷲市に巨額の資金を投じて総檜張りの巨大な三重県立熊野古道センターを作っていましたし、熊野市と尾鷲市に本拠とサービスセンターを有する東紀州振興公社には、熊野古道を誇りにし、これを売り出そうとする方々がたくさん集まって、立派な活動をしておられました。私も和歌山県の世界遺産を観光という観点からどう売り出していこうかと考えているところでしたから、大変感銘を受けましたし、熊野古道というと最終目的地の熊野三山が全部和歌山県内なので、和歌山県の話だなあとのんきに思っていましたので、三重県の立派な取組にショックを受けました。和歌山県のスーパーで熊野古道の水というミネラルウォーターを売っていたので、なかなか商才がある人がようやるわいと思って、よく見たら尾鷲市の業者さんが作った物でしたし、尊敬する当時の三重県の野呂知事にこれ差し上げますと言って渡されたのが、加古隆さん作曲の楽曲「熊野古道~神々の道~」で、全て三重県のプロモートだったのです。

 考えてみると、「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産になったきっかけを作った人々は、熊野古道をこよなく愛し、「くまの九十九王子をゆく」という著作まである和歌山県の元知事の西口勇さんと天下の霊場高野山を世界遺産にしようと考えた故後藤太栄高野町長らの高野山グループの両グループで、両方の働きかけに文化庁がのって、他の要素をうまく組み合わせて、コンセプトを作り上げてくれたから世界遺産の認定を得ることができたと私は理解しています。
 しかし2004年の世界遺産認定の後、同じく大喜びをしたものの、三重県と和歌山県の取組の熱意と努力は、かなり違っていたという事を発見したのが、あの三県知事会議でありました。

 これではいかんと、少々のんびり屋の和歌山県も三重県をお手本に立ち上がりました。和歌山県庁のみならず、記事にもある田辺市熊野ツーリズムビューローを先頭に市町村や観光業者の方々、それに世界遺産登録を機にたくさんできた語り部の会の方々など県民の方々も大いにのってくれました。尾鷲の熊野古道センターほど巨額の投資はできませんでしたが、田辺市と協力して、熊野本宮大社の前に熊野本宮館と世界遺産センターを作りました。景観条例を作って、熊野古道とその周辺の環境と景観保全を徹底的に行いました。昔風の宿泊所や要所のトイレ整備、携帯の不感地の縮小なども行いました。外国への売り出しなども、外国メディアにも協力してもらい、識者にも助力をお願いし、さらには少し前から、人気が出始めていた高野山の力も借りて熊野への誘客にも努力しました。また、外国人に熊野古道を楽しんでもらうためには、こちら側で工夫しなければならない所が結構あります。一例を挙げると、中日新聞の記事の冒頭に『石敷きの山道を進むと、道が二手に分かれる。一方に看板。「この道は熊野古道ではありません。NOT KUMANOKODO」和歌山県田辺市の熊野古道中辺路では道案内や観光案内など、ほぼ全ての看板に英語が併記されている。田辺市熊野ツーリズムビューローの小川雅則事務局長は「山で外国の方が迷うと大変。看板は一番に整備した」と話す。』とありますが、実は以前から、「この道は熊野古道ではありません。」という看板は整備されていたのです。熊野古道を売り出す戦略を議論する県庁内の会議で、「この看板は外国人には分かりません。熊野古道というフォントだけを覚えている人がいたら、かえってそこを熊野古道と間違う恐れがあります。」という意見が出て、「NOT KUMANOKODO」と付け足してもらったことを覚えています。
もちろん国内のお客さんも大事ですから、様々なやり方で、お客さんに参加して楽しんでもらえるような仕掛けもどんどん作りました。
 そして、ずいぶん軌道に乗ってきたかなと思い始めた頃、件の新聞記事に会ったのです。私は、マスコミの通例として、となりの芝生は青く見えるというきらいがあると思います。2007年に感動したあのすばらしい三重県の官民の働きはまったく衰えてはいないと理解しています。
 和歌山県もちょっと褒められたからといって油断しているといけません。和歌山県こそ知恵に学ばなければならない所が一杯あると思います。でもそういう物の見方もあるんだと少しうれしく思いながら、さらに取り組みを強化すべきでありましょう。

 それから本年は「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産認定から15周年です。三県はこれをもっともっとアピールするために、高野・熊野・吉野に伊勢を含めた「紀伊半島四大聖地巡礼特別キャンペーン」として、各地で秘宝公開・特別参拝、聖地巡礼スタンプラリー、聖地巡礼ツアー造成という共同事業も実施します。三重県は依然として、よきお手本であり、同時によき協力者であります。

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