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仁坂吉伸の思い

熱き心我は日本人なり 1964年東京五輪を呼んだ男 和田勇

2020年03月02日

 かつてこの欄で「いだてん」というタイトルで、昨年のNHK大河ドラマは、時宜に合った企画で良かったと思うが、オリンピックという国民誰もがそれだけで感動するテーマを古今亭志ん生の一生を挿入したり、おふざけっぽい演出をしてしまってかえって感動を削いだような気がするし、日本のオリンピック史上に輝く和田勇さんの話をオミットしたのはけしからんという文章を書いたことがあります。(後援会2020年1月13日「いだてん」)
 そうしたら、NHKと違って、読売新聞が1月1日の特集で、和田勇さんのことを書いてくれていて、オリンピックの年の特集として誠に時宜を得ていて、さすがと思いました。もっとも和歌山版のページでしたが。繰り返しになりますが、和田勇さんは御坊出身の両親のもとに生まれた日系二世。ただし幼少期御坊に里帰りしていた後、ロサンジェルスで食料品スーパー経営で財をなした人ですが、1949年ロサンジェルスで開かれた全米水泳選手権に出場するために渡米してきた、古橋廣之進、橋爪四郎らの日本チームに宿舎等滞在費一切を提供して、「フジヤマのトビウオ」の大活躍をサポートし、これによって親密になった「いだてん」のマーチャンこと日本水泳連盟会長の田畑政治さんの要請を受けて、東京オリンピック招致を実現するため、奥様の正子さんとともに中南米のIOC委員を歴訪し、その票を「東京」にたぐり寄せることに成功するのです。下馬評では米国のデトロイトが優位と言われていたのをひっくり返せたのは、この和田さんのお陰というのが定説になっています。

 この感動的なお話を小説にして下さったのは高杉良さんで(「祖国へ 熱き心を 東京にオリンピックを呼んだ男」後に改題して「東京にオリンピックを呼んだ男」)、若干体調優れぬ中、和歌山県が東京の明治大学で行った和歌山県偉人シンポジウム「和田勇シンポジウム」のゲストスピーカーとしてビデオで出演もしてくれましたし、私と和歌山県の広報誌「和(nagomi)」で対談をして下さった時(2018年35号)も、自分が書いた小説のモチーフとしてもっとも感動したのは和田勇さんだとおっしゃっていました。

 和田さんの活動の原動力は、高杉良さんの小説にもあるように「祖国への思い」だと思います。祖国が大変な戦争をして、完膚なきまでに叩きのめされ、ともすると「ジャップ」と蔑まれている中で、米国で必死に働いて成功した実業家和田勇さんをこのような活動に駆り立てたのは、祖国を何とかして盛り立てたいという思いだったのではないでしょうか。日本にいる大多数の日本人も、あるいはそう考えていたかもしれませんが、敗戦の自責の念と占領政策によって、それほど明確に発現できなかった祖国への思いを、和田さんは、米国で生きてきたからこそ、誰はばかることなく主張し、実践できたのではないかと私は思います。そして、我々はそのことに感動を覚えます。
 1964年のオリンピックに我々が感動を覚えたのも、敗戦国日本が、これをやり遂げたという「祖国への誇りの回復」も人々の心にあったと思います。2020年のオリンピック招致決定に国民が沸いたのも日本という祖国への愛情が素直に発露出来たからだったのではないでしょうか。

 読売新聞は、御坊市の和田勇顕彰会事務局長の岡本恒男さんの言葉で、記事を締めくくっています。それを引用させていただきます。(2020年1月1日 読売新聞)
『和田の原点は、幼少期に和歌山で経験した地引き網漁にあった。老若男女が役割分担し、取った魚を平等に分ける-。そんな姿が「人のため」「祖国のため」との思いを育んだ。生前、そう語っていた。
 岡本が何より伝えたいのは和田の気高い「心」だ。「『自分が一番』『強い者が正しい』との風潮が強まる中、和田さんの物語を伝えて二つの東京五輪をつなげば、人を思いやり、いたわる社会の実現に近づく」。そう信じる。』

 和田さんや、田畑さんや、嘉納治五郎さんや金栗四三さんや多くの人の思いがいっぱい詰まった東京オリンピックの2回目の東京オリンピックがいよいよ7月22日開幕(24日開会式)です。

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