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仁坂吉伸の思い

きれいごとと手荒なこと

2020年08月17日

 世の中には、こっちの方向へ行かないと将来困るけれどなあというような話がたくさんあります。今回のコロナ流行においてもたくさんの問題が顕在化しました。海洋プラスチックゴミの問題はコロナ以前から大問題となっています。それぞれにマスコミなどは、問題の不都合を色々と指摘してくれ、我々の理解は進みます。また世の識者は怜悧な現状分析とあらまほしき理想を語ってくれていて私もそうだな、と思うことがたくさんあります。でも、そのあらまほしき理想を実現するためには、ともすれば少々手荒なことをしないといけませんが、それはマスコミも識者も滅多に語りません。

 コロナで給付金の配付が遅れました。マイナンバーカードがあって、これに個人情報がどんどん入るようになり、個人の金融機関口座が登録されていれば、政府が一定の基準をもって給付すると決定したとたんに、お金が口座に入ります。そうすれば市役所の事務が煩瑣になり、間違いがあっていつまでも支払いがはかどらないというようなこともないでしょう。1990年に私はイタリアのJETROに勤めることになりましたが、初めに納税番号と在留証明書を兼ねるアイデンティフィケーションカード(カルタイデンティカ)をもらうと、それ一枚で何でもOKということのようでした。日本ではいっこうに進みません。所得の状況を当局につかまれたくないとか、資産をどこに持っているかを知られたくないとか、個人情報は言いたくないとか、プライバシーはどうしたとかの大合唱になって進まないのです。情報社会だから、デジタル情報をカードで処理すれば、こんな効率的なことはなく、皆総論ではそういう社会が便利で良いときれいごとを並べる割には、上記の嫌なことを手荒に押し渡っていく力が日本ではどうも出ないのであります。

 コロナで東京一極集中が見直されるという話は多分もう常識でしょう。その受け皿の代わりに地方都市の重要性が上がる、でも地方都市はシャッター街だらけでちっとも魅力が無く、歩いて暮らせるコンパクトシティーづくりをしないといけない、ドイツなんかはそんな町がたくさんあって、なかなか、元気に暮らしている、日本もそうならねば、こんな話をよく聞きよく読みます。
 しかし、ドイツなど西欧の国々が、どうしてコンパクトな町に住んでいるかというのには、歴史と風土に根付いた、人々の自由や利益を阻害するような手荒な仕掛けが存在しているのですが、この事を言う人は大変少ない。識者と言われる人も分かっていないかも知れないし、分かっていても、そんな手荒な事は言いたくないし、嫌われると嫌だから言わないかも知れない。それは西欧の伝統的制度である都市計画が日本とは比べものにならぬほど強固にあるからで、都市の市街地はずっと市街地、周りの農地や森林はよっぽどのことがなければずっと農地や森林なわけです。その結果、日本の多くの人々が享受したように農地や林地を売って一時は土地成金が続出したようなことは絶対に起こらないし、住宅用地の供給が制限されることで、地価は高くなり、住宅価格は高くなるので、人々が安くて広い住宅を手に入れるのは難しく、いささか豊かな暮らしが割り引かれる。それを甘受して初めて人口の市街地集中が起こりうるのです。町の中にしか商店は開けないから市内の生鮮食料品店は残って町は元気なようだけれど、日本のように郊外や町外れにいくらでもあるスーパーで大安売りの商品を買う権利は奪われている。そういう事に目をつむって、いくらきれいごとを言っても事は成就しません。西欧では人々の居住空間を固めてあるので、下水や市町村道を整備しても距離数が短くてそんなにコストがかからないが、どんどん自由自在に外延的に拡大した日本の町で下水や市町村道を引こうとするとコスト高になって、あっという間に市町村の財政がおかしくなる。
和歌山県の町は特に空洞化がひどいので、都市を再生させるために、ある時私は県の権限をいささか逸脱気味に、「農地転用は以降認めない。人口減少化で都市を守るためには都市計画を厳格化するしかない。」と言ってみました。とたんに主として農地を売ることを期待していた人、郊外に宅地開発をしようとしていた人が、このような手荒な事は暴挙だと大反対の声を上げました。もちろんいささか権限外の部分もありましたので、途中で一部撤回を致しましたが、少し刺激になって和歌山市などは、郊外宅地開発が頭打ちになり、中心部再開発の動きが出てきています。

 プラゴミ対策としてレジ袋の有料化が制度化されました。私はそれ自体は賛成ですが、それが海洋プラスチックゴミ汚染問題の決め手にはならないと思います。そもそも環境に放ってしまう人が悪いのであって、それを厳罰で取り締まらなければ解決にはなりません。また、環境に放ることをなくすためには燃やしてしまえば良いと私は思います。そもそも生活ゴミの焼却には市民が分別をしたものを燃えるゴミとして燃やす時に石油を足して、火力を強めています。それなら、石油から出来たプラスチック類を一緒に燃やす方が合理的に決まっています。ゴミの燃焼から出るCO2も石油投入から出るCO2も地球環境には同じでしょう。私は一番大事なことは、人々が環境にポイすることをなくすためにゴミはさっさと燃やせるようにすればよく、そのためのゴミの回収と焼却炉の改良にこそお金を使えば良いと思います。ものにはリサイクルがあって、私が言った、燃やして資源を節約せよというのは、熱を取るという意味でサーマルリサイクル、材料をそのまま利用するのがマテリアルリサイクル、形質を変えないで使うのがリユースという事になるのですが、世の「正論」は、ゴミはできるだけ出さず、必ず分別してマテリアルリサイクルに回そうということですし、レジ袋などを無駄使いするので、ゴミが出るからエコバッグを使うことにして、レジ袋をどうしてもほしい人は有料だということです。
 しかし、分別した収集ゴミが最終的にどう使われるか。もちろんペットボトルの再生とか紙を古紙として使うとか、有用なところは多々あると思いますが、生鮮品を入れていたプラスチックトレイやラップなどどうやって再利用するのでしょうか。それを圧力で固めて資源として途上国に輸出していたのが、とうとう文句が出ていらないと言われたのが現状ではないでしょうか。それに市民が分別しても、分別したそれぞれを最後には炉に皆投入するのだから、もう分別はしないでも良いという極めて科学的な議論のもと、燃えるゴミと燃えないゴミの分別をやめた和歌山市は、環境省やその他の団体から大いに悪評をかっているのです。
 私は、理想は大事ですが、その実現のためにきれい事だけを言うのはほどほどにして、時には手荒なことも手段として考えるべきだと思います。そこで和歌山県はゴミの不法投棄、ポイ捨てを取り締まり、違法者には罰まで与えるよう条例を作りました。
 大義の前にはきれい事とともに手荒なこともという覚悟を持つ表れです。

 コロナ対策もそうです。感染の防止のために、行動の自粛をと呼びかけ「なんとか警戒宣言」とかの標語はよく目に付きますが、感染症法の権限をガンガン行使して、陽性者の行動履歴を追求し、新たな陽性者もどんどん発見して、隔離していくという少々手荒な行政にすべての県が力を入れているとはどうしても思えない気がします。その感染症法だって、昔の伝染病法や、食中毒などの時の食品衛生法に比べると、陽性患者さんへの質問や隔離など積極的疫学調査はできますが、それにより営業などを停止する権限はありません。人々の自由と人権は優しく守ってあげたいということが強くて、手荒な事は随分遠慮しています。これで、協力をしてくれない患者さんがいたら、日本最後の砦、感染症法の隔離と保健所の機能が止まってしまい、感染が止めどもなく拡がるきっかけとなるかもしれません。人権という点では些か批判がある中国など近隣諸国がスマホの情報などで、ギリギリ関係者の行動の把握をして、感染を食い止めたのとは大きな違いがあります。
 私は、そこまでするのかという抑制の気持ちもありますが、世の中すべてあらまほしき事だけを語って、言霊の世界に浮いていて、手荒な事には触れない風潮もとてもいけないことだと思います。

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