「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

 この言葉はよく聞く言葉でありまして、歴史から学ぶ事はたくさんあるということを、言いたい時の枕詞のような使い方をすることが多いと思います。この間も新聞で加藤陽子さんがこのタイトルのもとに現在のコロナに匹敵するような大パンデミックが歴史上は何回もあって、その後世の中は大きく変化したので、今後もそういう事を念頭に世界の運営を考えていかなければならないというようなことを述べておられました。
 加藤さんは良いことをおっしゃる人なので、ケチを付けるつもりは毛頭無いのですが、私はかねがね、このタイトルの言葉は変だと思っています。

 歴史から学ぶことのできる人は確かに賢者だと思うけれど、過去の経験から学ぶ人(この場合多分自らの経験でしょう。)を、愚者というのは余りにもきつすぎるし、変だと思うのです。私に言わせると、「過去の自らの経験から何も学ばない人は愚者だ。賢い人は、経験から何かを得て、次はもっとよい事をなすだろう。自らの経験ばかりでなく歴史から学ぶことの出来る人は、もっと賢い人だ。」ということになります。

 人間はよく失敗をするし、県庁のような組織も時々は失敗をします。我々が賢くあらんとするならその失敗を深く受け止め、謝罪すべきは潔く謝り、失敗の原因や状況をよく分析し、今後はそのような誤りを二度としないようにしておくということが必要です。

 一例を挙げると、和歌山県がおそらく60年に一度のサイクルで被っている紀伊半島大水害で、大きな被害を受けた時のことです。その後の人命救助や応急復旧も大事でしたが、それが終わった後待っていたのが、このような被害に二度と遭わないようにするにはどうしたらよいか、また、応急復旧などのプロセスで咄嗟に思いついて工夫した数々の行政手法を次もまたちゃんと使えるようにしておくにはどうしたらよいかということです。(後者は失敗でなく咄嗟の成功を常に成功するようにしておく工夫です。)
 和歌山県においては、日高川にある椿山ダムや有田川にある二川ダムは、当時の和歌山県が昭和28年水害の大惨事を目の当たりにして、これを二度と起こさないように県の財政を傾けてまで建設したものでした。お陰で、今回は有田川はすんでの所で氾濫を免れましたし、日高川も氾濫はしましたが、人的犠牲は昭和28年の100分の1程度にとどまりました。しかし、日高川は氾濫はしたのです。二度と同じ事を繰り返さぬ為にどうしたらよいか、これが私が考えなければならない命題です。もう一度もっと大きなダムを造ることは、到底不可能です。そこで考えたのが、椿山ダムなどが持っている発電目的の利水用の貯水を災害が起こりそうな時に電力会社にお願いして抜いてはもらえないだろうかということです。
 これらのダムは複合ダムで、ダムの貯水空間は、治水用の空間と、発電用に関電が持っている利水用の空間です。前者は災害対策に使い、即ち、大雨の前にはぎりぎりまで水を抜いておいて、増水時には放流コントロールをしながら貯水していくのですが、後者は元からその水は発電用の営業資産であって、治水目的のために使うという謂われはないのであります。しかし、大雨が予想され、人命が失われるかもしれない時は、商売用なのでとは言っておられないでしょう、だから、間違ったら責任を持って賠償しますから、県がお願いしたら水をぎりぎりまで抜いてください。これは私があの時関電の八木社長(当時)に言った言葉です。八木社長はこれを瞬時に快諾してくれました。自らの失敗に鑑みて和歌山県が経験から学んだ事です。
 その他たくさんあります。緊急機動支援隊、リスク評価をした避難場所の設定、産廃業者と協力した災害廃棄物の処理、FMを使った災害時ラジオ報道、民間の力を借りた河川の浚渫、等々です。

 一方東日本大震災は大ショックでした。これは和歌山県自身は被害を受けていないので、歴史に学ぶ方かもしれませんが、その時の報道や県から現地に支援に行った者の報告などから、我々も大いに学んで、地震津波対策でもものすごい工夫をしました。津波から命を守るための避難路などを造るパワーアップ補助金とか、水害の場合と同じような津波用のリスク評価をした避難場所の設定、避難困難地域の発表とそれの解消の方法、家屋やホテルなどに対する大胆な耐震補助金、実際の地震による潮位変化によって津波の到達状況の予測をするシステムの開発などなどであります。

 和歌山県は、このように大水害の被害を自らが受け、都合61名の犠牲者を出してしまったという経験から学んで、同じ事を二度と繰り返さないための工夫をたくさん致しました。同じ失敗を二度繰り返したら、これは本当に愚者であります。
 大震災は自ら被ったわけではありませんが、あの東北の方々の辛い経験に学んで、数々の工夫を致しました。
 東北の方々は、もっと辛い自らの経験に鑑みて、大いに学び、二度と同じ目に遭わぬような工夫をしておられることと思います。
 しかし、それにもかかわらず、大水害をくらった和歌山県や、大震災を被った東北の各県の方々を「愚者は経験に学ぶ」と言って「愚か者」呼ばわりをするのは、どう考えてもおかしいと私は思います。
 
 それで調べてみました。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。」という言葉はビスマルクの言葉からきています。あのドイツ帝国の鉄血宰相のビスマルクです。
 でも本当の発言は少し違うようです。どうもこう言ったらしいのです。「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。」Wikiquoteの邦訳です。それがいつしか標記の形に省略されたもののようです。私の意見では、これは省略でなく、意味の変換だと思います。
 したがって、愚者は自分の経験から何も学ばず失敗を繰り返す。少し賢者は自分の経験に学んで、失敗を繰り返さない、本当の賢者は歴史に学んで、自分の誤りが一度たりとも起こらないように努める、というのが真実だと思います。

 私は、そう思います。だから和歌山県は他の良い所は「パク」ろう、大いに学んで真似るべきだと職員に叱咤を飛ばしています。しかし、世の中を見ていると、本当に行政は皆真似をしないなあと思います。
 ダムの運用に関する関電との協力協定や、実際の地震観測による津波の到達予測など絶対に真似をしたら良いのにと、各方面に薦めたのですが、あまり動きがありませんでした。そして3年前西日本豪雨で、これをやっとけば多分助かったのにという犠牲も出ました。でも10年経って、ようやく、この件は国交省が音頭を取って、和歌山県類似システムが全国的に採用の方向へ進み出しました。津波の到達予測も本年ついに三重県が装備するに至りました。

 賢者は歴史に学ぶ。