新型コロナウイルス感染症対策(その38)-withコロナ-

 8月28日安倍総理が退陣声明を発表しました。持病の悪化で常に100%国民のために尽くさなければならぬ総理の職務を全うできないからという理由を述べておられ、誠にごもっとも、かつ、立派なご決断だと思います。
 一般的に総理というお仕事は本当に大変なお仕事だと思いますので、そのストレスも大変なものであると察しますが、特に最近は、またコロナが感染拡大し、思うようにいかないことがストレスに拍車をかけ、お体を痛めつけたのではないかと思ってお気の毒でしょうがありません。感染の再拡大以来、どうして速やかに緊急事態宣言を出さんかと言う声が嵐のように起こり、なかなか動かない政府に対する批判が安倍総理の支持率にも響いて、それもご心労の種になったのではないかと思います。
 しかし、私が思うに、政府も宣言を出したくても出せなかったのではないかということです。前回の感染拡大の時は宣言を出して、行動の自粛、営業の自粛を幅広く呼びかけ、府県間をまたぐ人の移動も厳しく制限しようとしました。その結果、コロナは東京など首都圏以外では見事に収まったのですが、全国的に経済が止まり、国民生活は大変な打撃を受けました。(この時は、国民はほとんどそれしかないと信じていましたし、私も和歌山県もそれに従って、自粛や制限をしましたので、安倍総理を非難することなど誰もできません。)しかし、コロナがおおよそ収まった時、多くの人がこれはもう長くは、かつ、何度も続けられないと思ったはずであります。特にコロナも経済も教育も福祉もすべての国民生活に責任を持つ総理は、特にそう思ったはずであります。だから、東京の感染がどんどん拡大し、とうとう全国へ再拡大した際にも、一部の知事さんなどが、感染拡大に繋がるような行為をしている人々を非難し、大変大変と言い、感染地域からは人は来ないでくれと言われた時も、それを言えなかったのではないかと思います。
 もう一度きつい自粛要請をかければ、コロナは多分下火になりますし、ならなくても、コロナ感染拡大防止によく働いてくれる人として世の評価は高まったはずですが、それをやるとどうなるかが分かるだけにすべてに責任のある安倍総理も西村大臣など政府首脳も動けなかったのではないか、というのが私の推測です。

 何故そう推測するかというと、この私がそうだったからです。コロナは怖いと皆が思っていますし、その拡大防止のためには、自粛を徹底し、他県との関係を絶ってしまえば、感染拡大の防止に資することは明々白々でありますし、それで大騒ぎをし、動きの鈍い政府を攻撃して、他所から来ないでくれとメッセージを発すれば、おそらく拍手喝采であったろうと思います。しかし、県民生活についてはすべてに責任を持たねばならない私としては、かつ、それをやったらどうなるかが予測できるだけの想像力を持った者としては、とてもできなかったのです。
 徹底した自粛期間を含む4~6月の四半期GDPが日本全体で対前期比年率換算▲27.8%でした。和歌山のゴールデンウィークの観光宿泊客は対前年比▲97.5%でした。これほどでなくても、打撃は県民生活のあらゆるところに及んでいます。
 コロナの流行っている他県からは来るな、そこに行くなと言えば、どれほど簡単であったかと思いますが、私は一切言いませんでした。その結果、結構厳しい非難の投書もいただいていました。私は黙って耐えることにしました。
 おそらく安倍総理の胸中も同じような嵐の中にあったものと思います。

 今、夏の間に、世の中がどうなったかが段々と明らかになっています。和歌山県は自分でも驚く数字が出てきています。大変大変、他所から来ないでくれと知事がおっしゃった県の数字は、その発言がやはり影響を及ぼしたかなと思わせるものになっています。しかし、それを自慢げに披露すべき時期ではないと思います。一般的な制限のない中で安全な外出、安全な生活、そして安全な営業に努めてくださった県民のおかげだと思いますし、コロナとの闘いはまだ終わってはおらず、この瞬間にも続いている時だからであります。

 和歌山県は、県民の方への一般的な自粛も県外との往来の制限も言いませんでしたが、一方で必死で保健医療行政に取り組みました。確かに往来を禁止しないわけですから、コロナウイルスは時たま侵入します。そうしたら、その感染者を早期発見し、早期隔離するとともに、陽性者の行動履歴を徹底的に調べて、次の感染を事前に抑制していくということをずっと必死でやってきました。何故ならば、いつも言っているように、コロナ対策は行政の責務である保健医療行政と国民の協力する行動の抑制、営業の自粛との足し算であると信じているからであり、前者が頑張っていれば、後者にそう大きな負荷をかけることはないと信じているからであります。もし、負荷をかけたら国民生活は4月、5月みたいに、一度にしぼんでしまうからであります。

 よくwithコロナと言われます。私が今述べた対応はwithコロナの考えに即しているものと思います。コロナがこんなに世界中に拡がってしまった今となっては、もはや、コロナとうまく折り合いをつけて生きていくしかないと思っています。だからwithコロナなのです。

 しかし、この言葉は恐ろしい落とし穴があります。コロナと一緒ということだから、コロナの感染をもう躍起になって防止しなくてよい。感染の拡大も不可避なのだと思い込むことです。和歌山県は、保健医療行政が必死でコロナと闘っています。一件一件次々と他所から持ち込まれるコロナの患者を見つけ、隔離して感染の爆発を防いでいます。この行政の働きがあるから、私は敢えて、県民に自粛をせよ、県外との往来を絶てとは言わないですんでいるのです。言わなくても、感染は部分的に何とか抑え込めているからです。

 ところが、withコロナだと気を許してしまうと、感染は爆発して、withコロナで経済も回していくことなど出来なくなってしまいます。だからwithコロナとは、コロナと全力で闘いながら、コロナ時代を生き抜くことと考えるべきるでしょう。
 でも今でも、コロナとの闘いが甘いところがあります。そういうところが日本の中心であったなら、日本のwithコロナもうまくいかないかもしれません。だから、是非、次にコロナの勢いが下火になって余裕が出たら、今度こそ、保健医療行政を建て直して、もうこれまでみたいにたいへんな勢いで感染が拡がらないようにしてもらいたいと思います。頑張っているところには別に和歌山県に限らず、全国にいっぱいあるのですから。

 ところが、ここに驚天動地の動きが出てまいりました。政府が感染症法の運用を変えて、コロナの軽症者は入院をさせないで、自宅療養などを中心とすべしという制度に直すことを検討しているとのことです。知事会で本件を右代表としてフォローして政府と対峙してくれている立派な知事さんの言葉を借りると、とんでもない「暴挙」です。
 何でも、東京などで病院が逼迫し、医療関係者、保健所の人達が疲弊しているからだそうであります。しかし、そんなことをされると、陽性者の特定と隔離、入院をきっちりして、感染を防いできた和歌山県のような県が、もはや、入院を指示できなくなってしまい、陽性者を世に放たざるを得なくなってしまいます。そうすると、和歌山県のように抑え込みに成功してきた県でも、東京都のように感染が爆発するのを止められなくなります。
 そもそも、医療行政は誰のためのものでしょうか。答は、医療を受ける国民のためのものであって、医療機関の人々のためでも、まして保健医療行政機関の人々のためでもありません。行政機関が大変だから、それに合わせて楽にしてあげようなどと考えることは、誠に本末転倒です。行政にも正義があります。正義がすたります。保健医療行政がうまくいかず、あっぷあっぷになっている所を非難するのは本意ではありません。厚生労働省は、この時こそ、あっぷあっぷの地方公共団体を指導して、立ち直らせるべきではありませんか。指導力があるとして。それを忘れて、あっぷあっぷの実態に合わせて、国民の事を第二義的に考えることはあってはいけません。

 安倍総理の後を継ぐ方が、ここのところを賢明にお考えになって、「暴挙」には絶対に加担なさらないように願いたいと強く思います。