新型コロナウイルス感染症対策(その52)-違うんじゃないの-

 コロナとの闘いは全国で、そして全世界で続いています。和歌山県は、県民の命と生活を守るためには、総合的に考えたら、これが一番だと考えて、コロナ感染の拡大防止には保健医療行政が頑張ってこれに当たり、県民生活と経済の制限は最小限にするという方式で何とかやってきました。【この考えの根拠は「1月22日新型コロナウイルス感染症対策(その50)-和歌山でも感染拡大-」にあります。】しかし、全国的蔓延の中で、和歌山県は近隣府県や東京などとの関係も深い県ですから、ウィルスもどんどんやって来て、年末年始の移動に伴い、1日に20人前後の感染が確認される日が続きました。保健医療行政は必死で頑張ってくれていてこれですから、本当に手強い敵であります。しかし、この防衛線が突破されると、東京などの大都市みたいになってしまいますから、現場には大変な苦労を強いて頑張ってもらっている手前、県民の皆さんにもいわば最低限のお願いをしているわけで、現場で頑張ってくれている友のためにも、以下の13ヶ条の最低限のお願いだけは守ってほしいと思います。

 ただ、和歌山県がこんなに頑張っていても、コロナの感染多発地も頑張ってコロナを抑制してくれないと、そこから人も来なくなるし、こちらの経済や生活も廃れてしまうので、何とか全国的に頑張ってほしいと思うのです。恐らくこのことは、和歌山県のように、あるいはそれ以上に頑張っている地方の方々の共通のお気持ちだろうと思います。

 コロナはこのように国民的最大関心事ですから、メディアの報道なども大変多いし、多くの立派な専門的知識をお持ちの方々もよく発言されるわけですが、「それは違うのではないの」と思うことが、結構たくさんあるので、この際、改めていくつかを申し上げておきます。
 なお、ほとんどのものは、以前からこのメッセージで指摘していたことで、その際に論拠も含めて長々と述べていますので、そういう場合は、今回は短く、結論を申しまして、詳論はバックナンバー〇〇を見て下さいという形にしたいと思います。また、もう解決されているような問題、例えば、一時、政府が37.5度以上の熱が4日以上続かなければ受診を控えよとアナウンスしていて、和歌山県が従わなかった話などは省略します。

1.1日の感染者数を発表する時、〇〇曜日にしては過去最高などということ
 高名な方が、たしか「コロナは待ってくれない」といった発言をされたのを覚えています。全く正しいと思います。何故ならば、コロナはどんどんうつるので、発見を早期にして、他にうつさないように早期隔離しなければ、どんどんうつっていくわけです。従って、その防遏に立ち向かっている人は、土曜日と日曜日は仕事が休みですと言えない立場にあります。だから、テレビで、「休日で検査ができないので、〇〇曜日の感染者数は少なく」と、それが当然のように言っているのは違和感があります。何といっても注目されるのでテレビに出るので気の毒ですが、東京都の感染者がその例です。毎週木曜日がピークで段々下がり、翌週また木曜日を目指して段々上がっていますが、これは本当は当然ではなくて、このような保健医療行政はどこかおかしいと批判精神を一番大事にしているはずのテレビ局は考えないのでしょうか。関西の各県は、それほど週日サイクルはなく、まして和歌山県にはありません。このような週日サイクルがあるかどうかは、保健医療行政が必死で働いている度合いを表してはいないでしょうか。もっとも人間には精神的、肉体的に限界があります。現場にもっと仕事をしろとは到底言えない状況にあることはよく分かっているつもりです。そうであるからこそ、どうやって人繰りも考えながら、この大事な仕事の持続可能性を高めていくかがリーダーの仕事だと思います。

2.国会で起きた特措法、感染症法の罰則議論について

 長い間、御神輿をあげてくれなかった政府がついに法案を出して、特措法、感染症法で当局の言うことに協力しないものに罰則をかけることにしてくれようとしたことに対して、野党などから大反対の合唱が起こりました。私は大変怒っています。特に感染症法に対してであります。感染の拡大防止のために、現場で感染者の行動履歴を聞き取って、濃厚接触者にPCR検査をしに駆けつけ、入院の手配をし、感染者の保護と感染の拡散を防ぐことに日夜働いてくれている人のことも少しは考えてほしいと思うのです。「言いたくない」とか「入院はしたくない」とか言って頑張られる人がいると、放置している間にそこからどれくらい感染が拡がるかを考えてみたら、協力をしてくれないことがどれほど危険かはすぐ分かるではありませんか。反対論の1つに、他にやることがあるだろうということを言っている人がいましたが、「言いたくない」「入院はいやだ」と言う人に対して、感染の拡大防止という目的のために必死で説得してくれている現場の保健所の職員に、他にどんな「やること」があるのでしょう。罰則は少なくとも抑止力にはなります。何も武器を与えないで、どう対応しろと言うのでしょうか。
 一部には権力の乱用だとか恐怖政治になるとかと言っていた人がいましたが、裁判手続きがあり、国会があり、議会があり、メディアがあり、健全な有権者がいる中で、まともな行政当局なら、権力の乱用と一言でも言われそうな乱暴なことをするわけがないではありませんか。
 この点は数年前に起きた『特定秘密保護法』の時の議論とそっくりです。国の機密を盗んで国益を害そうとする人に何のペナルティも与えることができず、出来るのは秘密を漏らした国家公務員だけというのは余りにもおかしいではないかという単純な正義には考慮せず、戦前の暗黒国家に逆戻りだ、国家に逆らったらすぐ逮捕されるぞなどと言っていた人は、その後のこの法律の運用ぶりにどう答えるのでしょうか。そもそもこういうことを言っていた人で、実際に法案を読んだことがある人は何人いたでしょうか。あれだけ大騒ぎがあった後で、私の知る限り、この法律で逮捕された人はいません。非道な運用をしたらそれこそ袋だたきに遭うということは当局は皆知っているはずです。それでもこの法律があることで、かなえられている抑止効果は大変大きなものがあると思っています。あの時一番ひどいと思ったのは、学問の府で、本来は偏見にとらわれず真実を追究することを学生に教えるべき大学の学長が、卒業式にこの法律で日本が暗黒の国家になると訓示したことです。しかも、詳細な法律上の根拠なしにです。私は法律のどこがそうなるのか、ちゃんと論証もせずにそういうことを学生に言うのはいかがなものかと思います。

 ただし、感染症法の審議過程に私は大変怒っていますが、過料かもしれないが、まがりなりにも罰則が盛り込まれたので、やれやれと思っています。もともと量刑はあまり定見はないと言っていたわけですし。また、感染がはっきりと確認されている人が言うことを聞かなかったことに対する感染症の罰則と感染の予防のために行う特措法の罰則では、少々重みが違うのではないかとはかねがね言っていることであります。

3.PCRをたくさんやったから仁坂知事を褒めてあげるという議論

 濃厚接触者などに対して行うなど、必要な場合にPCR検査をすることは大事ですし、しない、できないというのは感染拡大の恐れから大変危険ですが、たくさんPCR検査をするからえらいというわけではありません。済生会有田病院の時にたくさんPCR検査をして上手くいったので、この議論に火を付けてしまった面もあると思いますが、それ以上にこの議論の背景には、欧米のPCR検査数と、日本のそれが随分違うということがあったのではないかと私は思っています。何でも欧米は偉い、日本はダメの考え方です。大事なのはPCR検査は隔離の手段であって、それが十分措置されなければ、いくら数多く検査しても感染拡大には効かないということです。【この辺の議論はメッセージ「3月17日新型コロナウイルス感染症対策(その7)-新たな感染者発見+色々思うこと-」にあります。】
 でも一度、こうとメディアが決めてしまうと、すべてのメディアがそれを繰り返すのはいかがなものと思います。珍しく依頼されて出演したテレビの報道番組で、「PCR検査をたくさんやったから偉いと褒めていただくのは間違いです。その証拠にPCR検査をたくさんやっている欧米の感染の拡がりは、PCR検査の少ない日本より桁違いに多いのです。」などと正直に言ってしまったので、テレビ局は二度と呼んでくれなくなりました。

4.保健所が大変だから濃厚接触者に全部PCR検査をしに行くことはしなくてもよいと命じること

 神奈川県が実際に1月15日に公表されたことですが、これはとても危険です。【これについてはメッセージ「1月25日新型コロナウイルス感染症対策(その51)-積極的疫学調査-」に詳説しておきました。】
 保健所の職員の方々が大変だというのは、百も承知で、100%感染を追えていないのを責める気持ちはありません。むしろ頭を下げたいくらいです。(和歌山県内ではそうしています。)しかし、相手が手強すぎるので追えていないというのと、もう追わなくて良いというのとは天と地ほど違います。それに、保健所の仕事と言っても100%現在の保健所の職員、特に医療知識のある専門職員がしなければならないわけではありません。アンコアなところは、どんどん他に切り出していけます。他部局から応援もすべきです。また、保健所が負担になるだろうと思われることは他部局が代わってあげないといけません。それに各保健所がバラバラでは、上手くいきません。県内の保健所の統合ネットワークを作り、知事部局がその舵取りを全部引き受けないと各保健所はそれぞれ塹壕にこもったまま各個撃破されてしまいます。
 和歌山県では、保健所を含む保健医療行政は、感染者が増えて今はかなり大変ですが、ずっと前から、この負担軽減をやってきました。実はもっと大変になると、負担軽減もさらにできるかなという検討もしています。【この点については、「12月10日新型コロナウイルス感染症対策(その44)-大阪が危ない。日本も危ない。-」に詳説しています。また、別紙に保健所機能の軽減の可能性の分析を載せておきます。】

5.コロナを感染症法の2類相当からインフルエンザと同じように第5類にせよという議論

 人物識見とも立派だと思われる医師が言うので始末が悪いのですが、議論は2つあるようです。

 その1つは、病院の重症病棟がパンク状態なので、5類にしてコロナの感染者を皆連れてくるのはやめにしてもらって、重症化して命が危ない人だけを連れてきてもらいたいという意見です。お気持ちはわかりますが、5類にすると、保健所の検査隔離措置が感染者に及ぼしにくくなります。そうすると感染にとどめがなくなります。感染が増えると一定の比率で重症者が出ますので、重症者が増えます。そうすると重症病棟のパンク状態はおさまりません。
 この問題の本当の解は入院調整です。個々の保健所がそれをできるわけがないので、県庁がこれを行います。和歌山県は県の福祉保健部の司令部がずっとこれをやっています。重症者はどこへ、軽症者はどこへといった具合です。大阪府も同様です。でもそうではないところもあります。狭い県内で県の統合司令部の機能がないところもあります。保健所の統合ネットワークが必要な理由の一つです。
 【この点については、メッセージ「12月24日新型コロナウイルス感染症対策(その46)-自分の庭先だけきれいにする-」を見て下さい。】

 その第2は、多くの病院をコロナ受入に向かわせるために、感染症法の2類だと皆が尻込みをするので5類にすればもっとコロナを引き受けてくれやすくなるだろうというものです。でもそんな概念的な考えでコロナを引き受けるか、引き受けないかを考える頭でっかちの病院の責任者がどのくらいいるでしょう。人間はもっと素直で感覚的に動くと私は思います。感染症法の扱いを変えたからと言うよりも、コロナにうつったらどうしよう、あるいはコロナ対応は人手もコストもものすごくかかるので嫌だという反応が普通だと思います。それではどうしたらよいか。もちろん人道に訴える説得が大事ですが、コスト面での配慮も見逃せません。この辺は厚労省の知恵の出し所だと思います。

 以上のような2つの議論で抜け落ちている最も大事な点は、2類から5類になると感染者に対して、保健所が検査や隔離や囲い込みが権限を持って行えなくなるということです。この副作用があるので、コロナを5類にしては絶対にいけません。
 コロナの感染を欧米に比して少しはましに保っている最後の砦を自分で壊そうとしているということを、おそらく偉い先生方は気がついていらっしゃらないのでしょう。

6.全員入院が何故のぞましいか

 実証的データをもって、何度も述べています。【メッセージ「1月4日新型コロナウイルス感染症対策(その47)-データの示す急所-」を見て下さい。】

 最近になって、自宅療養中、もしくは自宅待機中に本当に亡くなる人の例が出てきまして、メディアに報じられていますが、心配していたとおりです。仮に感染者が多すぎて、他の手段、ホテル、自宅などを隔離の手段として使わなければならない時は、上記のようなデータに基づいて、技術的に様々な工夫をしなければなりません。その際、自宅にいていただくのが、その人を守るためにも、感染の拡大をさせないためにも、技術的にもマンパワー的にも、一番難しいという事を分からない人がいると言うことが残念です。

7.特措法の緊急事態措置は県知事の権限なのに国の権限みたいに思われていること

 特措法は、緊急事態宣言を国が地域を特定して行って、そこでどういうことを県民に強いるかという緊急事態措置の権限は県知事に委ねられています。宣言が出されないと、人々に強権的に行動制約を強制するすべが与えられないので、感染がひどい県の知事は宣言を求めます。ところが、宣言を求めた知事に政府は措置をまず十分にやってからだと返答したりします。措置の内容もこれこれの厳しさでやらないとダメだと言うこともありました。厳しくない行動制約を、厳しくない態度で要請するのなら、宣言などいりません。宣言はお墨付きのようなものではないのです。宣言がなければ対応が出来ないといった知事も違うのではないかと思うけれど、措置の内容まで、全部一律にやらそうとする政府も何か変です。

 そこで特措法をよく読んでみました。確かに緊急事態宣言は国の権限ですが、緊急事態措置は知事の権限です。本来は緊急事態措置の中身は知事が責任を持って決めて、上手くいかなかったら、県民に謝って、改めたら良いのです。ところが、政府は緊急事態措置はかくあるべしと、ものすごく一律にやらせたがります。ではそんなもの知るかと知事が勝手に中身を決められるかというとそうはいかないのです。法18条に政府は緊急事態措置について対処方針を決めるとあって、知事は対処方針に従って緊急事態措置を行うとあるのです。現在の対処方針には、例えば緊急事態措置は飲食店に対しては午後8時以降の時短をせよと書いてあって、知事はこれに従わないといけません。言い換えると、例えば飲食店以外に広範に時短を頼んだり、飲食店に全面的に休業を要請したり、その逆に時短は午後12時以降でお願いします等と言ったりは出来ないのです。
 私は、この法律を全体としてみたとき、対処方針にこのように知事が行うべき緊急事態措置の中身を詳細に書くという運用は、法の趣旨から言って間違いではないかと思っています。法は明示的に緊急事態措置の主体を知事としているのだから、その知事の行動を全部対処方針で細かく決めてしまうのは間違いで、本来は措置の内容についてこんな点に留意とかこんな精神でやれとか、やり過ぎはいかんとかそういうことを書くべきものだと思います。でないと緊急事態措置の主体が知事だと決めた法律の意味がありません。
 特措法の運用については、元鳥取県知事で早稲田大学教授の片山善博氏が同法24条9項の解釈を巡って誠に立派な法律論を展開しておられますが(同氏著「知事の真贋」)このように他にも特措法の政府による運用が「違うんじゃないの」と思うところが多々あります。

8.政府や専門家がコロナ対策で保健医療行政の重要性、積極的疫学調査の重要性を言わなかったこと

 あらゆる「それは違うんじゃないの」の中で、この問題が最も本質です。これについてはいっぱい書いていますが、代表的なものは以下の各メッセージですのでよかったら見てください。【「11月2日「新型コロナウイルス感染症対策(その41)-経済・生活とコロナ感染防止の両立 新たな和歌山モデル-」「12月1日新型コロナウイルス感染症対策(その43)-県民向けテレビメッセージ11/29-」「1月25日新型コロナウイルス感染症対策(その51)-積極的疫学調査-」】
 この問題の、すなわち保健医療行政の実施責任者は県です。他に転嫁できません。だから、大変な時に感染拡大地域の県の知事がこのことを言いたくないことはわかりますが、すべての事柄に責任を持ち、政策のバランスを考えなければならない政府や、その政府に正しいことを教える立場にある専門家がそれを言わないのはいかがなものかと思います。欧米と違って、日本が救われる道はここしかないのに。