もう悪いことせんといてよ -経産省キャリア給付金詐欺-

 最近、驚天動地の出来事がありました。「経産省キャリア給付金詐欺」のニュースであります。報道によりますと、経産省のキャリア官僚の、ともに28歳の桜井真、新井雄太郎両容疑者が警視庁に詐欺容疑で逮捕されたとのことで、彼らはペーパーカンパニーを作り、この会社が家賃を支払っていることにして、コロナの家賃支援給付金550万円を詐取したとのことです。
 桜井容疑者が家賃が高額のタワーマンションに住み、高級外車を何台も乗り回すという派手な生活をしていたことから調べが進み、ついに逮捕に至ったとのことで、それも薄給の公務員がそんなことをとびっくりの二乗であります。

 従来から官僚の不祥事はたまに発覚し、訴追を受けたり、職を追われたりする人はいましたが、これほど単純な悪事を若者が企み、しゃあしゃあと実行していたということはおそらく前代未聞で、長く経産省で働いていた私にとっても大ショック、信じられない思いであります。
 最近は、政治家や上司、先輩に忖度したり、ワクチン確保の契約すらしていなかったり、現場を見ないでとんちんかんなことを言ってみたり、接待を受けたり、付き合いの際に決められたルールを守らなかったり、現役の時は官邸や大臣の意向に盲従していたくせに、辞めたとたんに手の平を返すようにかつての自分の所掌業務が不当な圧力のもとに行われていたと主張してみたり、と公務員として恥ずかしいことをする人がよく登場します。私など、それだけでも最近の役人はひどいものだと慨嘆する年寄りの官僚OBでありますが、今回の事件は、また異次元の悪質さを感じます。

 とりわけ、私のかつて所属した、そして今でもあの世界で仕事をさせてもらったことに感謝をしている経済産業省(通商産業省)で起こったことですから、しかもしかも、本来なら入省早々で理想に燃え、世のため人のために働こうと考えているはずの若手が、あんな道徳心のかけらもないような悪事を働いたのですから、ショックは一層のものがあります。
 私のいた頃から通産省の世界は、「通常残業省」と呼ばれるブラック企業で、私生活を楽しんだり、家庭サービスをしたりする暇がほとんどないような仕事一途の毎日でした。もちろん薄給で、私が所属していた省内のテニスクラブの名称は「薄給」という皮肉も込めて「白球会」というものでした。しかし、少なくとも私にとっては、なにがしか世の中に良い影響を与え、少なくとも日本と人々のために尽くしているのだという実感があって、それで生活環境の過酷さを紛らわしているという状況でありました。
 入省10年目の頃、私は、秘書課(人事課のことです。)の次席の課長補佐となり、立派な首席を補佐する役として採用担当にあたりました。当時の通産省は少なくとも学生の人気はNO.1で、我こそはという学生さんがどっさりと訪問してくれ、その中から通産省にとって「ベスト&ブライテスト」を選んで採用しようと、その方々と真剣に面談するわけです。NO.1といっても、当方が「この学生さんは通産省に来てほしいなあ」と思う学生さんが、簡単に来てくれるわけではありません。省内の仕事ぶりなどをよく見てもらい、時にはグッとくる言葉で説得しながら、本当にこの若者が通産省を背負ってくれるのかということをよくよく見極めるわけです。そうして、自分なりの考えを首席に進言し、議論し、そうして選んだ相手が通産省に来たいと言ってくれてはじめて、すなわち相思相愛になった時、採用が決まるというものでした。その時どんな人がよいかということが大事になりますが、人間性についても最大限の考慮をするということが不可欠です。どんなに成績がよく、頭がよさそうであっても、誠実でない、正直でなさそう、ずるいことをしそう、尊大、個人的な野心があまりにも露骨、そういった人は敬遠したような記憶があります。それを逆に言えばハートナイス、そういった人を選んできたと思います。それが組織の中で働き、人のため、世のために尽くすことができる条件だと信じてきたからです。もちろん、そういう人は民間企業からも大いに評価されていますから、民間の採用担当の人から「あんな給料の安いところへ行ってどうするの、うちなら2倍、いや3倍の給料だよ」などといろいろ説得されるわけです。それでも、選りすぐりの人が、「人のために国のために尽くさん」と入省してくれたわけです。私が採用にタッチした1984年、1985年入省の諸君はみなこのようにして入省し、そしてきつい仕事に耐えながら官僚として立派に仕事をしてくれました。いろいろ官僚にとって、つらい不都合な時代が進み、後輩の諸君は大変だなあと同情するところが多い昨今ではありましたが、ついにここまで落ちたかと思うのが今回の事件であります。

 入省早々でルールを無視していきなり金儲けのための会社を作り、さらにはそれを詐欺の装置として利用し、さらにはその詐欺の対象を自らの組織が心血を注いで国民のために作り上げた制度とするとは、何ちゅうことかであります。なぜこんな人物を国民に奉仕する官僚の世界に入れたか、そして時には職務を悪用して悪事を働くのをどうして掣肘できなかったか。多くのまともな後輩には気の毒だけれど、じっくり反省して悪の芽はどんどん摘んでもらいたいと思います。

 私たちの頃は、官僚、役人というと、自分の仕事と思うこと以外何もしない、偉そう、前例しか眼中にない石頭、不親切、血も涙もない冷血漢・・・といったイメージは国民の皆さんが抱いているだろうなあという意識はありました。しかし、自分はそうなるまいと心の中でずっと思っていました。
 しかし、自分の人生で一度だけ驚天動地のことを言われたことがありました。それが標記の「もう悪いことをせんといてよ」という言葉です。時は私の第1回目の知事選挙の時にさかのぼります。当時、選挙運動として県内をくまなく遊説に回っているときに、ある町でこう言う方がいました。もっと正確に言うと、「仁坂さん、あんたを応援してあげるけど、もう悪いことをせんといてよ。」ということです。私は「そんな。一回も悪いことはしていないけどなあ。」と思いましたが、これには背景があります。私が知事になったいきさつは、前知事の官製談合汚職です。前知事は自治省出身、長い間生え抜きの県庁OBの中から知事を選んできた和歌山県で、最近の停滞を打破するために県民の期待を一身に背負った初めての中央省庁出身の知事だったのです。ところが、その人が汚職で捕まってしまった。和歌山県と和歌山県民は恥を満天下にさらしたのです。それ以来、県民の多くの方は「中央省庁出身者=刑法犯的悪事を働く人」というイメージを抱いたようであります。それが中央省庁出身者の私(自治省と通産省の違いはあるにせよ)は悪いことをするタイプの人という風に映ったのだと思います。私はもちろん前記のような役人、官僚が一般に言われている悪口は承知していて、そのような非難をされるかなという覚悟はできていたのですが、まさか刑事犯の卵のような言われ方はないだろうと思ったものでした。私は知事就任以来すぐ、官製談合をしたくてもできないように制度的にシャットアウトするシステムを作るなど、徹底的に「悪いこと」がはびこらないような県政を作ろうとしてきました。その原動力の一つがあの「もう悪いことはせんといてよ」という言葉だったことは間違いありません。

 しかし、今回のあの2人の若者の行為は、この意味での「悪いこと」であります。何ちゅうことか、あの時、私にその言葉を浴びせた人のように、どうか経産省の方々に「もう悪いことはせんといてよ」と言いたい私です。

(注)キャリア官僚という言葉は和製英語です。日本以外では日本のように上級職又は一種公務員という意味ではなく、生え抜きの公務員という意味です。ポリティカルアポインティー(政治任用)に対峙する言葉として使います。