新型コロナウイルス感染症対策(その74)-人流と大阪と感染症法2類問題-

 依然として全国的に新型コロナウイルスが猛威を振るっていまして、和歌山県でも保健医療行政が感染の拡がりを食い止め、病院が100%感染者の面倒を見、県民にも自粛という不自由を耐えてもらって頑張っているのですが、ウイルスの力も強く、先行きはまだ予断を許しません。しかし、その中で見えてきたものが3点ありますので申し上げます。

1. 人流
 昨年の第三波のころから政府の対策もマスコミの関心も、ワクチンを除きますと、もっぱら人流の抑制に向かっています。このところ東京の感染者が減ってきたのは、お盆で人流が減ったからという具合です。その次の関心は医療の逼迫で、感染した自宅療養者が大都市を中心に次々と亡くなっているといった悲劇が報じられ、重症者用の病床がもうあんまりないということが報じられます。
 マスコミで報じられることは、もっぱら人流が第1、第2が病床です。いずれもとても大事なことですが、昨年の当初よく言われた積極的疫学調査の話はほとんどありません。原因と結果から言うと、いくら病床を確保してもどんどん病人が増えたらどうしようもないわけですから、まず感染が拡大しないようにしないといけません。そのためには人流の抑制とワクチンと保健医療行政による「積極的疫学調査」が有効だと思うのですが、今はそういう方面の権威の専門家が人流の抑制での拡大防止しか言わないからでしょうか、政府の度重なる緊急事態宣言もその際の対策が飲食店の時短、お酒の提供の自粛、百貨店などへの入場制限などもっぱら人流抑制に焦点が当たっています。しかもこの点では欧米と違って政府、地方自治体の権限は弱いので、あまり実効性がなく、同じことが何度も繰り返されると多くの人々が「自粛疲れ」、「自粛飽き」になってしまったような気がします。
 本当は、日本のように感染症法や保健所という道具のある国では、抑制実効性の乏しい人流抑制にだけ頼るのではなく、保健医療行政の立て直しにも大きな関心を持ってもらったら、日本全体が随分違うと思います。
 和歌山県も今は少し人流抑制も加味していますが、本来はまず、保健医療行政の充実で感染者を抑える。次は、それでも出てしまった感染者は病院の協力を得て全員入院で命を助ける。また併せて入院することで家族などに余計に感染させないようにする。その次に、これらの対策で持たなくなってきたら、人流抑制で対策を強化するという方式をずっと取ってきました。
 その結果、大都市のすぐ近くで感染の要因が多い所ですが、他よりもかなり少ない感染者数で食い止め、そうすると全員入院がかろうじて何とか達成できるという形になっています。
 別に偉そうに言ったり、誇ったりする気もありませんが、政府がこのことにもう一度気が付いて、そうできるよう不十分な都道府県を指導して、成功県のノウハウなどを移転すれば全国の感染抑制に効くと思うのだがなあといつも思っています。もう一度言います。対策の順番は(1)保健医療行政による感染の封じ込め→(2)病床の確保→(3)人流の抑制で、その逆ではありません。人流だけしか関心がないと、(1)も(2)もどうでもいいやとか、もう努力しても無理だから頑張らないでもよろしいということになります。そうすると、感染はとめどもなく拡がります。マスコミと専門家の無関心にもかかわらず、感染抑制がうまくいっていない県の保健所も担当の方々が献身的に努力してくれているのです。その結果が今の数字で、この方々がもし仕事に全力を尽くしてくれなくなったら、感染者数も今の比ではなく、ひところの欧米やインドみたいに病床の状況ももっと大変なことになっているでしょう。

2. 大阪が危ない―でも頑張って下さい
 和歌山県の感染も油断はできません。中々簡単には減りません。保健医療行政の担当者と病院の関係者の苦悩は続きます。和歌山県は、この2つで健闘しているので、感染状況がよく把握できます。一つ一つの感染事例と執った措置の状況を聞いていると大阪の状況もよく分かります。
 県内の人から県内の人への感染も随分増えてきているのですが、毎日かなりの方が大阪由来の感染をしています。感染が少なかった少し前は、わざわざ大阪の盛り場で遊んで感染してきたというケースが多かったのですが、今や通勤や商談、大阪での現場作業など、不要不急ではない、やめるわけにはいかないことでうつってきたという人がずいぶん多くなってきました。もちろんその中には自粛要請の対象になっていることですが、友人と大阪へ遊びに行って飲食もしてうつってしまったというケースもあって、あーあ、やめてと言ってるのにということもまだまだあります。

 和歌山も大変ですが、こちらから見ていますと大阪の保健行政の逼迫度はもっと大変なようで、感染者に対する積極的疫学調査のカバレッジもどうしても落ちてきて、それがまた、再拡大の原因となっているようです。我々は、こんな大変な仕事にへとへとになりながら頑張っている大阪の保健医療行政と保健所を非難する権利はありません。ただ何とか頑張り続けてほしいと言うしかありません。こうして頑張っていれば、いつか、感染がストンと落ちる日が来ることは過去の事実が証明しています。しかし、頑張らないで、もう保健所は大変だから働かなくてよいとか、積極的疫学調査は限定的でよいなどとリーダーが言い出した途端、感染は止まることなく、場合によってはとめどなく拡がります。また、収まってきても感染減少スピードがうんと鈍くなり、また、次の波の準備をしてしまうというのが、これまで繰り返された現実です。(本稿「(その67)データでみる感染症対策の急所(その4)東京が危ない(令和3年6月25日)参照」)

 我々リーダーは、部下の労苦の上に立っています。皆人並に人情もありますから、部下の苦労を思うと、もうこれ以上働けと言えなくなってきます。でも、守らなければならない真のクライエントが県民だと考えると、決してもう働かないでよい、仕事のターゲットを限定してよいとは言ってはならないと思います。リーダーがそう言ったとたん戦線の総崩れが始まります。それにこの新型コロナウイルス感染症という相手は、我々が限定しようとしても、限定しなかったところからどんどん感染して、限定した領域に何倍もの力で押し寄せてきます。かつて、他県の我々の同僚が「もはや積極的疫学調査の意義はなくなった」と公言して保健所の仕事の対象を限定しました。結果は感染がどんどん拡大して、さすがに国からも指導があったのか、その考えは撤回されました。
 非情になり切れぬ生身の人間としては、ついついこういうことをやりたくなりますが、結果はきっと惨憺たるものとなります。その代わり、和歌山県では、保健医療行政のヘッドクオーターと保健所のコアが過労で崩壊しないように、ずっと援軍を送り続けています。(本稿「(その73)保健所の支援(令和3年9月3日)参照」)
 もちろん新型コロナ発生以来500日も働いてくれている担当部局には本当に申し訳ないと思っていますが、心を鬼にして、働いてもらい続けるしかありません。

 その点大阪府は頑張っています。どうかもう少し頑張り続けてほしいと思います。さらに大阪府について評価すべきところは、具体的な対策をどんどん立案し、実行しているところです。病院のキャパシティーはずいぶん増えていますし、自宅療養者に対するケアも医師会と合意して、医師会のメンバーのクリニックの方々の協力でウォッチしてもらっているようです。最近ではいわゆる「野戦病院」をインテックス大阪に作ろうと努力しています。(当県のような地方県と違って、大阪の動向は常に全国ニュースに出ますので分かるのですが。)そして、常に府民にアナウンスしています。新型コロナは大変だ、当県はもう非常事態だ云々と危機感は表明するが、具体的にどう手を打つかについては人流の抑制を人々に呼びかける以外は何もしようとしない所とは大違いです。かつて、私は、本稿「(その44)大阪が危ない、日本が危ない」(令和2年12月10日)参照)というメッセージを出したことがあります。その趣旨は今回と同じように、大阪に頑張ってほしいということだったのですが、当時のマスコミは仁坂対吉村のケンカというように取り上げて、耳目を引こうとしました。当時のメッセージも大阪は頑張っているといっていて吉村知事を批判するような書き方はしていないのですが、タイトルから勝手に立論するのでしょうか。これについて、テレビ局が取材に来たので、批判、非難は一切していない、頑張れと言っただけだと応じたのですが、その映像は一切番組では流されず、コメンテーターが何も知らないのに勝手にケンカを煽っていました。それを見て、吉村知事と政治的に対立する人々が、「えらいよく言った」という投書を和歌山県庁にたくさん寄せられました。いずれも少し見当違いです。今回も大阪は大変だけれど、保健医療行政をあきらめてはいない、それどころか、数々の工夫をして何とか事態を乗り切ろうとしている。どうか頑張ってほしい、そうやって結果的に和歌山県も楽にしてほしいということが私の言いたいことであります。

3.感染症法2類問題

 この問題については、本稿「(その70)最近時における状況と対策」(令和3年8月17日参照)の、「5.感染症法上の取り扱いを2類相当から5類へ」として理論的に5類に変えては絶対にいけないと申し上げたところです。今も、全く変わるところはありませんので、もう一度再掲します。

『 新型コロナの感染が拡大するにつれ、またぞろこの問題が喧しくなってきました。とんでもないことです。厚労省はせめて、これだけは、改悪しないでください。
 おそらく、改めよという人の言い分は、2類相当にしておくために、保健所がいちいち入院アレンジをしないといけないし、指定病院にしか入れられない、一般の病院が入院を断るのは、このせいだ。自由にコロナ患者を受け入れられるようにすればよいのだ。また、入院は重症者だけでよいので、病院からすると軽症者などを入院要請してくる保健所が病床の逼迫を招いているのだ。といったところでしょうか。また、ある有力者は、保健所が自分が仕切ろうとして、自分のテリトリーの病院ばかりに感染者を入れるので、本来ならもっと受け入れられる病院の機能を止めてしまっているといっているそうです。
 何を言っているかと大変腹立たしく思いますし、もしそういうことになったら、和歌山県では、必死でコロナ拡大を食い止めている保健医療行政が動けなくなってしまいます。そうすれば、和歌山県でもあっという間に感染者数は今の10倍になるでしょう。保健医療行政が他に比べて弱い東京の人口は和歌山県の10倍強ですが、感染者は100倍です。和歌山県の保健医療行政を東京並みにしたら、当然感染者数は比例して増えるでしょう。
 法制が変わったとき、今までの行政措置を和歌山県が続けていたら、県当局の行為は違法となり、無理に隔離しようとすると、さしずめ私などは監禁罪でしょうか。改悪には絶対反対です。

 もう少し詳しくその理由を申し上げます。
(1) まず、感染症法の2類相当なら、行政が感染者に公費で検査をし、入院措置をし、行動履歴を調べ、濃厚接触者を割り出してまた検査をして、入院隔離などの措置をするといった権限が与えられますが、5類になるとそれら一切が権限を持ってできなくなります。普通のインフルエンザと同じになるのです。

(2) そうすると、隔離ができませんから、感染はどんどん拡がります。また、権限を持って検査指示ができませんから、感染者を発見できません。感染はとめどなく拡がるわけです。

(3) 確かにコロナ病床は窮屈ですが、それは感染症法のせいではありません。病院の意向です。感染症法上の権限をもって説得をしても、病床を空けてくれない病院が、保健所の関与がなくなったとき、どうして手のひらを返したように、患者を受け入れてくれるというのでしょう。病院は他の患者も診ないといけないし、病院内に感染が拡がると困るのでコロナ患者を受け入れないのであって、コロナが2類相当の感染症だからではありません。少し病院長や経営者の立場に立って考えればわかることです。想像力はどこへ行ったのでしょう。

(4) 病院関係者に時々ある、重症者だけ受け入れたいので、保健所が症状の大したことのない患者を連れてくるのさえなければうまくいくのだという意見も想像力の欠如です。現に東京などでは、重症者しか入院アレンジができない状態です。感染症法の扱いと関係がありません。それに、軽症者を放置すれば、一定の比率で重症者が出ます。感染症法の扱いを5類に変えたからといって受け入れなければならない患者が減るわけではありません。医療逼迫がなくなるどころか余計ひどくなります。

(5) 最後に、前述のように感染症状の扱いの2類相当から5類への変更は保健医療行政が必死で頑張っている和歌山県など地方に大打撃を与えます。全国が東京都化するわけです。言い換えれば、感染症法と保健所のないヨーロッパと同じになるということです。

 ただし、最後に付け加えますと、ワクチン接種がこれ以上はもう無理というところまで行きわたり、コロナにかかった時の特効薬ができたという状態になったら、コロナももはやインフルエンザと同じと考えてもよく、その時は感染症法上の扱いを5類にしていただいても結構です。そのときは、安心して部下の保健医療部隊に全軍休んで良しと命じます。でも今はまだダメです。保健医療行政の苦闘は続きます。彼らに尋常でない苦労をずっと強いている司令官も辛いのですが、県民の安寧と幸せのためならと心を鬼にしています。』

 ところが最近、産経新聞(令和3年9月3日朝刊)の「コロナ直言」で、長尾和宏さんという方がこの問題を取り上げて、5類に変えてもらわないと困ると提言をしました。クリニックを運営していて、実際に新型コロナ患者を診ている医師で、実に立派な人だと思いました。だからと言って、先述の理屈は依然として当てはまるので、やっぱり2類を5類に変えてはいけないのですが、提言にあったことで、前回言わなかったことを2点申し上げたいと思います。

 第一は、感染症指定病院になっていないと、新型コロナの患者の入院ができないというようなチャートが示されていますが、今はそんなことはありません。現に和歌山県では、はじめ感染症指定病院もわずか、病床もわずか(済生会有田病院で発生した時は全県で32床)であったのが、今は一般の病院を説得してどんどんコロナ病床を増やし、今は600床になっています。その運営方法は本稿「(その70)最近時における状況と対策」(令和3年8月17日)参照」

 第二は、これは、実際にこの提言者が正しいと私は思っているのですが、新型コロナの治療薬の使用についての制約です。新型コロナを受け入れる病院に許される治療薬の使用がこの方のようなクリニックでは許されておらず、その結果新型コロナの陽性が確認されても、クリニックではすぐ薬の処方をすることができないということです。クリニックにできることは保健所に連絡して、この患者さんの取り扱いを任せることですが、和歌山県では連絡があったらすぐ保健所の係員が急行して、すぐに入院措置を講ずるので、患者にとっては問題はないのですが、東京などでは、なかなか入院させてもらえず、患者は薬の処方をされぬまま自宅に放置されることになります。ある種のコロナ治療薬は、患者の重症化を防ぐ効果はあると言われていますが、感染初期にうたないと効果はないと言われています。したがって、この提言者のようにコロナに積極的にかかわろうという立派な医師にはクリニックで、陽性がわかったらすぐに治療薬を処方することができるようにすべきであります。これは感染症法の分類を2類から5類に変えなくても厚生労働省の判断でできるはずですから、すぐにそうすべきだと思います。
 また、これに関連して、厚生労働省は、どうもこの薬は効くぞと考えられたり、実績があったり、他国で承認されて使われていたりしてもなかなかコロナの治療薬として承認しないというケースがあります。おそらく薬害エイズ事件以来のトラウマがあってか、外国で承認された外国製医薬品以外はなかなか承認しないように思います。
 これは現下のコロナ禍のような国家的危機存亡の折に、何をしているかという思いもありますし、日本の医薬品会社を不当に差別して、本来なら、その任務であるところの国内医薬品産業を育てるという厚生労働政策に全く逆行していると思います。
 アビガンにしても、イベルメクチンにしてもそうです。両方ともほかの病気の治療薬として承認され、実際に患者に投与されているわけですから、未知の副作用などは心配する必要は小さいと思います。新型コロナに十分効かないかもしれないなどは、今のこの危機の中で言ってる暇はないので、医師の判断でどんどん投与させたらいいではないかと私は思います。(実際にはコロナ禍の初期になかなかアビガンをくれないので、厚生労働大臣に直訴して送ってもらい、90代の患者さんの命が助かったケースもあります。)そうしたら、件の提言者のような良心的な医師がもっと活躍できて、保健所の機能不全を助け、多くの新型コロナ患者の命を救うことができると思います。もちろん、私は、治験をいい加減にやれと言っているわけではありません。新しい薬は、未知の副作用もあるかもしれないので慎重にこれを行うべきですが、イベルメクチンやアビガンは既に使われている薬で、すでに分かっていて使用上の注意がなされていること以外に人々の健康を損なうことはありません。リスクはコロナに効かないかもしれないということだけで、こんな危機の時はそこまで厚労省に責任を取れと誰も言いません。したがって、どんどん使わせてさしあげるべきです。また、コロナの治療薬として最近承認された抗体カクテル療法もそうです。早期に処方しないと重症化の防止には効果がないのですから、上記長尾さんのような立派な医師、立派なクリニックでそれを使用することは厚労省も認めてさしあげるべきです。