「人のふり見て我がふり直せ」と「遅いのは嫌いだ」

 人間の教養目録の中には、案外子供のころの刷り込みがあるような気がします。私は、祖父は早くに亡くしましたが、祖母とは、私が大学に行って和歌山を離れるまでずっと一緒に暮らしましたので、結構おばあちゃん子です。その祖母がよく言っていた言葉の一つがタイトルの一つ「人のふり見て我がふり直せ」というものです。いろいろとものを考える時によく思い出す言葉なので、意外と血肉になっているのでしょう。他のいいところはどんどん真似をしたらよいし、悪いところは自分も同じような悪いところがないかと省みて、その悪いところを直せばよいと思います。職員にはよくこういうことをちゃんと説諭した後、いささか自虐的に「いいところを真似するのはパクるということだ。僕はパクリの仁坂と言われているんだぞ。」と付け加えます。実は、本当にそう言われたことはありません。
 一方、もう一つのタイトル「遅いのは嫌いだ」というのは、私がオリジナルに言い出した言葉です。やるべきことはさっさとやってしまわないと、手遅れになったら大変ですし、さっさと済ませて後は楽になればよいのではないかと思うからであります。

 この二つを使って申し述べたいことは、昨年静岡県熱海市で起こった盛土の崩壊です。テレビで何度も映像が流されましたので、日本中の国民に大変なショックを与えました。段々と明るみになってきたのは、複数の事業者の無茶苦茶な残土放置とずさんな安全管理、そしてそれを放置していた行政の怠慢であります。和歌山県であんなことがあり得るか。あったら大変だというのが私の思いでありました。明るみに出てきた事実をなぞっていくと、「いい加減だなあ、私が行政を指揮して感じる限り、和歌山県ではまともな行政をしているし、そうでなければ斜面だらけの県土に、全国有数の台風大雨の「名所」和歌山ではいつもこういった事故が起きるに相違ない。」というのが私の第一印象でした。私は公私ともに県内の人があまり行かない所へよく行きますので、そういう所での観察結果ともそれは合っています。

 それでも、万一見落としというものがあって、そこで事故が起きたら悔やんでも悔やみ切れないと考えて、全県で盛土のチェックをしようということを言い出したわけです。「人のふり見て我がふり直せ。」です。しかもやるからにはだらだらやらないでスピード感を持ってやろう。「遅いのは嫌いだ。」です。
 幸いわが和歌山県には砂防を中心とする職員の精鋭チームがいますので、砂防課を中心に都市、農業土木、林業、環境などのチームを作り、市町村の協力を得て、早急に盛土の安全チェックを行うことにしました。
 およそ過去盛土をしたところがすべて対象ですが、全部を一斉にすると、時間もかかるので国のイニシアチブで行った土砂災害警戒区域で土石流のリスクが高いという地域Aとその他の地域Bとに分け、まずAの地域から、スキャニングをすることにしました。盛土をする時は宅地造成等規制法などの手続きがありますので、県と市町村の過去の規則記録を調べて該当地を選び出します。また、過去に法の目をくぐり抜けた案件がある可能性がありますので、各地の住民に、崩れはしないかと気にかかっている盛土箇所があったらすぐに知らせてもらうことにしました。同時に国交省にお願いをして、国土地理院の情報から、ここは盛土をされた箇所かもしれないという所の地形図等をいただいて、ダブルチェックすることにしました。さらに航空測量データを活用して、トリプルチェックをすることにしました。
 そして、そうやって集められた盛土地の中で盛土の変状という観点から選び出し現地調査も行ってリスクがあるなと思う所をあぶり出してもらいました。B地域についても、追ってA地域と同じような調査をして、リスクのありそうな地域を出してもらいました。
 その結果A地域から2箇所、B地域から2箇所、もちろん熱海のような大規模な事故が起こるというのとは程遠いけれど、人間やインフラ施設に影響のある事故が起こる可能性のある箇所が抽出できました。そして、その4箇所についてはボーリング調査など詳細な調査をして対策を決め、現在盛土撤去等といった方法で、安全工事を行い、3箇所が完了したところです。

 これで先ず一安心。静岡県熱海市と同じような轍は踏まずに済みます。この間6カ月、遅いのは嫌いな私でも文句をつけようもないスピードで、チェックが完了しました。砂防課長をリーダーとする調査チームの頑張りに感謝をしたいと思います。

 ところが、国交省から熱海市の事件を踏まえて全国の自治体に対して、盛土の安全性を確認せよという指令が出たという報道を見ました。「遅いがな」と和歌山弁が出てきそうになります。「遅いのは嫌い」な和歌山県ですから。

もう一つの例は「人のふり見て我がふり直せ」の要素はありません。私が考えたことです。でもそんな言葉で語れるほど軽い話ではありませんでした。もう11年も昔のそれは紀伊半島大水害の後の話であります。台風12号による大雨はものすごく、紀伊半島南部に甚大な被害を及ぼしました。今から考えると和歌山県はおよそ60年に一回とてつもない大水害に遭っています。1889年の大水害の時は大斎原にあった本宮大社が流されるなど約1200人の方々が亡くなりました。1953年の大水害の時は有田川、日高川が大氾濫し、約600人の方々が亡くなりました。そして2011年の紀伊半島大水害です。61人の方々が亡くなったり行方不明になられたのは痛恨の極みです。1953年の大水害の後、和歌山県は大治水工事を行いました。有田川、日高川に巨大な治水ダムをつくって、二度とあのような悲劇を繰り返さぬようにしようとしたのです。その結果、和歌山県は財政が一時的に傾き、地方財政再建促進特別措置法(現在の地方財政健全化法)の国による管理になったのです。でも、私はそれをおかしてまで、あの巨大ダムをつくった当時の小野知事は偉いと思っています。私は、このことから、まさか日高川のあの椿山ダムが、洪水調節ができないほど水が溜まり、流入量と放水量を同じくしなければならなくなる(これをダム操作規則で定められている「ただし書き放流」といいます。)とは夢にも思ってはいませんでした。でも実際に起こったのです。もし、もう一度同じような雨が降ったらどうやって日高川流域の人の命を守ったらよいのか、これが私が考えなければならない大問題でした。いくらなんでも、椿山ダム級のまたはそれ以上のダムをもう一つこの流域に作るというのは到底無理だと考えて思いついたのが、ダムの貯水量のうちの利水用のそれを使わせてもらおうということだったのです。椿山ダムのようなダムは、治水と利水の複合目的ダムであることが多いのですが、底のほうの一定の部分は利水用で、ここでは関西電力が発電のために使っていて、その上部の空間は治水用で、ここで洪水防止のための流量調整を行うのです。あの時のように大雨が予想される時は、治水当局としての県は(日高川のような2級河川の治水責任者は県です。)事前に治水空間の水を目いっぱい抜いて増水した水を貯められる空間を大きくしておくのですが、それでも紀伊半島大水害の時はいっぱいになってオーバーしてしまったのです。一方下部の利水のために貯められた水は関西電力の営業資産であって、このため、関西電力はダム建設の時も応分の負担を払っているのですが、通常はこの水を抜いて、それによってできる空間を治水のために使おうなどと考えた人はいませんでした。
 しかし、人の命にはかえられませんので、私は思い切って、関西電力に洪水が予想されるときは利水用の水も県の要請によって事前に放流してくれませんかと頼むことにしました。そして、ちょうど全県でズタズタになった電力供給の復旧の経過報告に来庁された当時の関西電力の八木社長に直訴したわけです。そうしたら、八木社長は「商売も大事ですが、人命にはかえられません」と一発で快諾してくれました。私は今でもこのことを恩義に思っています。もちろん関電もその後は法律家が出てきて、両トップの間の合意を契約にするのに半年もかかったので、この点は遅いのが嫌いな私としては気に入らなかったのですが、何と言ってもトップが快諾してしまった重みでしょうか、最終的には日本初の利水用の貯水空間を治水用に活用するという驚くべき合意が成文化されました。その後この約束は何度も発動され、和歌山県にある関西電力の発電用の水の事前放流は、現在まで56回実施されています。その間気候はどんどん荒々しくなりましたので、この中にはもう少しでただし書き放流というかなり危ない状況になったケースもありました。もしこの約束がなくて、水を抜いていなかったらと思うことがありました。

 これはいいことをしたわいと、私は、このアイデアと実際の顛末を国交省に何度も報告し、全国のほかの河川のダムでも同じような方法をとったら洪水リスクがうんと減るのではないかと進言しました。しかし、その後何年もこの方式が採用されることはありませんでした。和歌山県だけが大型台風の襲来の度ごとに、県から関電に協力要請をしてダムの水を極限まで抜き続けていたのです。他はやっていません。そしてついに悲劇が起こりました。平成30年7月豪雨で愛媛県の国管理河川の肱川が増水し、そこにある野村ダム、鹿野川ダムが洪水調整のできる量を超える増水のため、「ただし書放流」のやむなきに至り、結果的には8人もの尊い人命が失われました。和歌山県と同じことを早くやっとけばよかったのにと私は思いましたが、私の権限を超えたこと、まして他所で起きたことでどうしようもないという気持ちをいだいた記憶があります。

 しかし、世の中にはもう一人「遅いのは嫌いだ」という人がいました。
 菅前総理です。官房長官の時、強く号令をかけて全国の河川のダムで和歌山県のような利水用の容量を治水用に利用させてもらう協力を取り結ぶように命令を発したのです。遅いのは嫌いな人ですし、官房長官自らの命令です。その後またたく間に全国の河川のダムで和歌山県と同じような協力が行われることになっていると私は理解しています。菅前総理の著作「政治家の覚悟」によれば、それより何年も前から実際は実行している和歌山県の前例によるとは一言も書いておられないので、自ら考え出されたのだとは思いますが、言い出したらぐずぐずは許さない、「遅いのは嫌いだ」の強力な体現者であった菅前総理に、全国の河川の流域に住む国民は感謝をしなければならないのではないかと私は思います。