高野山会議

 昨年から、和歌山県、東京大学先端科学技術研究センター、高野山金剛峯寺、高野山大学などの共催で高野山会議なるものが開かれています。

 山上の宗教都市高野山は、世界に二つとないすごいパワースポットですが、ここで東大先端研の立派な学者さんや高野山の高僧が集まって知の競演を行って、地球規模の問題解決に資する知恵を作っていこうという素晴らしい催しだと思います。
 東大の先端研はその構成メンバーを見たらあっと驚くような多種多彩、それだけでもインターディシプリナリーな価値があると思いますが、これに高野山の宗教と学識、それに東京藝大の澤前学長をはじめ音楽、芸術軍団が加わり、さらには高野山という霊場の持っている力が加わって、これは何か生まれるぞというわくわくするような会議となっています。
 今年も6月30日から7月3日の4日間にわたりこれらのメンバーが宿坊に缶詰めとなり、下界よりもはるかに涼しい好適な緑の環境の中で意見を戦わせます。和歌山県庁もこういう時によくあるようにロジの世話役ばかりをするのではなく、有為の人材を参加させて、県民に一段とレベルアップした奉仕ができるように脳の活性化を図ろうと、かなりの数の職員をフルに参加させました。
 私はというと、本当はずっと参加して、立派な方々のお話をお聞きしたかったのですが、仕事山積で、始めのご挨拶だけして、下山せざるを得ませんでした。それはあまりにも残念だと、優秀な職員にセッション全部に出て、うんと短くした要約を作れと命じましたので、私のみならず、多くの皆様にこの会議の精髄に触れていただこうと、その要約を執筆者の新田寛樹君の原文そのものを以下に掲げます。

【高野山会議2022・概要報告について】                                      
                                    企画総務課 調査調整班長 新田 寛樹

 先般、4日間にわたり東京大学先端科学技術研究センターの主催で行われた「高野山会議2022」について、全てのセッションを概説するとともに、所感を報告します。

1.会議の趣旨

 「地球規模の課題に対処するためには、異分野の科学技術をつなぐ必要がある。そのために、科学技術は論理だけでなく心の共鳴を糧として、人と人、人と自然をつなぐ存在であるべき」との前提に立ち、科学や芸術、デザイン、宗教など多様な分野の専門家が、持続可能なより良い社会の実現に向けた議論を行った。

2.セッションの概要

 まず、初日に行われた「セッション01 次世代育成」では、科学や芸術が果たすべき役割や、会議の意義を概観。これから始まる議論を深く理解するためのヒントが提示された。
 基調講演において、澤 和樹・東京藝大名誉教授は、日本は教育や芸術への投資を怠り、多様な考えを育む機会が希薄であったと指摘。芸術こそがあらゆる分野とつながり社会を変えていく。芸術や宗教で心を育てていかないと日本は世界に誇れない、と述べた。
 また、杉山正和・先端研所長は、理性だけでなく感性が異分野をつなぐ。行きつくところは責任と倫理。未来の世代や地球環境への影響を考えた行動が求められる。次世代育成のキーは、「多様性、包摂性、想像力」。科学技術の進歩で、過去の人類よりも良い解が得られるのではないか、と語った。

 2日目に行われた「セッション02 インクルーシブデザイン」では、あらゆる人が活躍できる包摂社会を創造するための方法論が議論された。
 脳性麻痺により電動車いすを用いながら小児科医として活躍する熊谷晋一郎・先端研准教授は、「私にとってこの体は自然なもの」で、障害は環境の側に宿るのだから、自然をむき出しにしながら社会環境を変えていけばよい。人間にとって自立は不可能で、皆、何かに依存している。自立とは依存の分散。社会がインクルーシブを十分に提供できているかが重要である。自分一人で何でもできることを目指しがちであるが、そうではないことを伝えたい、と述べた。
 また、障害者向けの楽器の開発など、障害とアートを専門とする新井鷗子・東京藝大客員教授は、芸術で支援するという福祉の精神より、障害者から学ぶことでいかに質の高い革新的なアートを生み出していくかを目指している。一人の障害のある女子高校生のために開発したピアノが、「誰でもピアノ」として誰もが楽しめる楽器になったように、ユニバーサルは一人から始まる。インクルーシブな社会を創る原動力となる、想像力を培うのは芸術である、と述べた。

 3日目の「セッション03 人間と宗教とテクノロジー」では、テクノロジーは現代の宗教とも言われ人の価値観に入ってきているが、宗教や人間との関わりは今後どうあるべきかについて議論がなされた。
 吉本英樹・先端研特任准教授は、宗教には人間の価値観に対する強烈なベクトルがある。そのような宗教と、最先端のテクノロジー、デザインの三位一体で素晴らしいものができるのではないか。意識もできないような根底にあるのが宗教。テクノロジーもデザインも、自然の上に蓄積された人智や歴史を背景に、トライ&エラーを繰り返して大きな波を形作っていく、と述べた。
 一方、松永潤慶・高野山大副学長は、地球規模でどう調和をとっていくかが重要。密教には価値の多様化という大事な教えがあり、曼荼羅がまさにそう。全ての存在に価値があることを認めて、洞察性や先見性を含め、それらを見ていく感性、知性を育むことが大切である。我々の人間としての感覚器官は保持されたもの。自然の変化を五感、六感で感じ、自然界に溶け込み生かされていることを認識する。そこに本質があると主張した。

 同じく3日目に行われた「セッション04 気候変動・持続可能なエネルギー・社会システムとデザイン」では、将来世代に良好な地球環境を引き継いでいくために科学技術が果たすべき役割等が論じられた。
 気象学が専門の中村 尚・先端研教授は、最近10年は過去1万年で最も暖かい10年。2019年までの50年間で豪雨災害等による犠牲者は200万人を超え、これは1970年代の7倍である。過去100年間、日本近海は全海洋平均の2~3倍のペースで温暖化が進んでおり、猛烈な台風の頻度が増えると警鐘を鳴らした。温暖化の緩和策は再生可能エネルギーで、ソリューションは複数用意して組み合わせるべきである。日本はエネルギーの地産地消にとって恵まれた国。知恵をブレンドし、社会に穏やかに受け入れられるアイデアを考えることは日本人の得意分野ではないかと語った。
 また、次世代エネルギーシステムの開発を専門とする杉山正和・先端研所長は、今の科学では再生可能エネルギー以外の他の代替エネルギーを考えるのは困難。2050年カーボンニュートラルは、導入シナリオなどの時間軸、地域間連携などの空間軸、CO2の削減効果という量的な軸など、多軸の中で色んな策を考える必要がある。大きなスケールで脱炭素戦略を作ろうと思うと、色んなテクノロジーを寄せ集めてシステムで考えていかなければならない。例えば、バイオ技術を活用したCO2の資源化技術など、いくつかの解を育てておいて、地域に応じて適切に組み合わせていくことが重要。日本の考え方、技術の強みはあるので、悲観的になることなく前向きな行動を起こしていきたい、と述べた。

 最終日に行われた「セッション05 仏教は宗教か?」では、あえて仏教を「宗教」として括らないことで見えてくるものについて意見が交わされた。
 このテーマを提案した前谷 彰・高野山大学教授は、まず、仏教は、ブッダによって発見された「縁起(全ての物事、現象は、相互に関係し合って成立している、という仏教の根本思想)」という法則と捉える方が健全なのではないか。弘法大師は、思想・実践の両面においてブッダの「縁起法則」を再確認したが、各宗は宗祖の教えを絶対視する、いわゆる宗派仏教となってしまったと指摘。道徳をモラルで終わらせてきたのが日本の教育。法則としての仏教に目を向けるべきで、仏教には慈悲という軸がある。悟りではなく目覚め。意識せずとも皆の幸せを願う心を、小さい頃から涵養することが大切であると主張した。
 また、文化人類学を専門とする小田博志・北海道大学教授は、宗教は二つの側面で捉えるべきではないか。宗教現象と捉えるか、存在の根底の次元をなす宗教性と捉えるかの区別で、前者は特定宗教の教義や組織を客観的に研究し、宗教の共通性に迫ろうとするもの、後者は森羅万象の存在を解き明かそうとするものである。ここで考えるべきは後者で、空海の真言密教は、人間は生きている自然の中にあるという真理に目覚めさせてくれる。「がんの自然的寛解」をみれば、根源的な自発性はつねに働き続けていることが分かり、我々が存在していること自体がその顕れである。大自然は生きている縁起。そのような密教的な生命論を基礎とすれば、学問だけでなく産業や社会のあり方も深いところから変わるはず。空海の教えの背後には、根源とつながった深い宗教性があることは言うまでもない、と述べた。

3.クロージング

 会議の提唱者である神崎亮平・先端研教授が中心となり、「いつの時代も宗教と科学、芸術の緊張感がそれぞれの発展に不可欠」、「豊かな感性と高い倫理性に根ざし、自然と調和する科学技術は、私たちに夢を与え1200年後の世代に地球をつないでいく」、「子どもたちが高野山会議とともに豊かに成長していくことを願う」等の未来に向けたメッセージを発し、閉会した。

4.所感

 今回、錚々たる先生方によるスケールの大きな議論を目の当たりにし、「視座を高める」ことの重要性を改めて認識した。多様性の視座や想像力の視座、科学、芸術、宗教、倫理の視座など、物事を俯瞰的、多角的に考えることで最適な結論に近づくことができるのではないか。広範な領域を扱う行政職員として、「意識せずとも多様な人々の幸せや安寧を願えているか」、「考えるだけでなく、いかに実践していくか」、「困難に直面している人に、多様な選択肢を示せているか」、「難しい課題に直面しても、悲観的になっていないか」、「高い倫理性をもち、人の役に立つ努力ができているか」、「独り善がりにならず、調和を保てているか」など、あるべき姿勢を再確認することができた。