神坂次郎先生ありがとうございました

 和歌山県の生んだ偉大な作家神坂次郎さんが令和4年9月6日亡くなられました。
 神坂さんは、昭和2年和歌山市に生まれ、陸軍の航空通信隊員で終戦を迎えた後、建設会社の技術者として和歌山県の町や山中で数多くの工事に携わる傍ら、多種多彩な小説やエッセイを書かれて、日本文芸大賞、大衆文学研究賞、長谷川伸賞など、数多くの受賞をされています。
 その中には、「元禄御畳奉行の日記」など、江戸期の風俗を描いて一世を風靡した作品、南方熊楠を世に知らしめた「縛られた巨人-南方熊楠の生涯-」、雑賀孫一、呂宋助左衛門、牧野兵庫頭、北畠道龍、由良守応、ダンケッチから松下幸之助まで、それまで知られていなかった人々も含め和歌山県出身者の生涯を血沸き肉躍る物語にした作品など、ものすごく多くの作品を残されました。
 また、熊野や紀州の海山のあらゆる知識を多くの評論や紀行文、歴史書などにまとめて我々に教えてくださいました。熊野が今のように有名になったのは神坂さんの功績が大きかったと思います。そういう多くの作品を書きつつ、神坂さんの思いの中には、若い時特攻兵を見送った鹿児島県知覧基地の状景がいつもあったと思います。国のために散った若い仲間の鎮魂の作品群「今日われ生きてあり」シリーズの最後の著書「特攻隊員たちへの鎮魂歌」を出されたのが、ちょうど私が知事に就任したころでした。

 私は神坂次郎さんの心躍る小説群でそれまで全く知らなかった和歌山県の知識をどっさりと仕入れることができました。そして紀州藩について学び南方熊楠に感銘を受けました。さらに、特攻隊で散った若者への鎮魂を一生続けられた神坂さんを心から尊敬します。和歌山県がこんな神坂さんを顕彰するために、文化奨励賞(昭和50年)、文化功労賞(昭和60年)、そして文化賞(平成2年)と3回も表彰したのは、まことにその意義を理解したからだと思います。
 私が知事として和歌山へ帰ってきた時、和歌山の心を教えてくれたのが神坂さんでした。小説と違って、若い未熟な私にとつとつと語り、教えてくださった言葉の数々に魅了されました。さらに神坂次郎さんは、ずっと知事としての私の後援会長を引き受けて下さいました。政治のことはよくわからんのだがねとおっしゃりながら、この16年間ずっと会長を続けて下さいました。最近は体を壊されがちで、あまり外にお出になることは少なくなり、私もできるだけお宅にお邪魔して諸般ご報告をせねばと思いつつ、忙しさにかまけて間遠になっていたのは返す返すも申し訳ないことだと思っています。

 様々な意味で和歌山県は神坂次郎さんにものすごく大きなものをいただいてまいりました。その神坂さんが愛した和歌山を残された私たちすべての県民が守り、育てていかなければなりません。
 やはりいつものように神坂先生と呼ばせて下さい。神坂次郎先生本当にありがとうございました。