インベーダーのすすめ

 昔インベーダーゲームというのがありました。今はコンピュータゲームソフトはどんどん立派になっていますので、そんなものはすたれたと思いますが、おかげで、この「インベーダー」という言葉が一世を風靡しました。侵略者といった意味です。そして、霞ヶ関で「通産省=インベーダー」という呼名が定着しました。
 大体、どこの役所もそうですが、皆所掌が決まっています。それぞれ法律などで規定された権限が決まっていて、役人は、それぞれの組織に所属し、このうちのどれかの所掌を分掌し、その中の権限を行使するのです。もちろんそれに際しては責任を伴います。このような組織の陥りやすい弊害は縦割り行政の弊害です。自分のことだけきちんとやっていれば、他は知らんということです。その結果として、1つの組織と他の組織の間の谷間に大事な事が落っこちます。「自分の家の前の芝生だけきれいにする」ということわざがありますが、「わしゃ知らん、あっちの仕事だ」と、消極的な態度が生まれます。もっとひどい事になると、自分の所掌の事は、俺がすべて決めるんだから、よその奴は口出しするなという事になります。その結果、他の分野にどんなに悪い影響を与えていても我関せずです。もっと言うと、間違った事が行われていても、誰も文句が言えなくなって、そのうちひどいことになって、世論が一斉攻撃をするまで事態が放置されるということになります。このような時すべての場合に忘れられているのは、国民全体の利益ということです。

 その中で通産省だけは、少々違っていました。(上記と同じような傾向は通産省内部でももちろんあったでしょうが、違う面が多くあった事は事実です。)他省の所掌分野にずかずかと乗り込んで、平気で意見を言うのです。日本の発展のためには、労働制度はこうしろ、農政はああしろ、通信の制度はこうしないと困る、社会福祉はこうしないといかん、地方行財政はこうしてくれ、財政はああしてしまえ、果ては弁護士の数までどんどんと発言しました。通産省は、産業や貿易や経済を所管していますが、驚くほど所掌は広いが、それぞれの所掌ごとに権限は少なくて、特に産業活動などは基本的に産業、企業が勝手にやってくれという所です。しかし、勝手にやってもらいながら、様子をよく見ているわけです。そして産業にとって、あるいは、日本経済にとって何かが邪魔になっていたり、不足していたりする時は、それを改めよと運動するのを仕事と心得ているのです。その結果、改めるべき所が他省の所掌である時は、それにああせいこうせいと口出しをする。その結果がインベーダーです。もちろん口出しをしても、すぐにはその通りにはなりません。しかし、議論は起こります。橋本政権とか小泉政権とかのように、日本の経済構造を改革しようと志す政治のリーダーシップがあれば、このような議論はどんどん進みます。かくして、日本全体の改革が進むのです。しかし、省庁の権限という点では、通産省の力はちっとも強くなりません。見返りも何もありません。しかし、少なくとも国民のために、今何が問題かということは、考え、そして実行した歴史だけが残るのです。
和歌山県庁でも「自分の家の前の芝生が青ければいいや」という気持ちに職員がならないように、よその所掌のことでもどんどん注文を出して、議論をする習慣をつけていきたいと思います。大事なことは、「県民のためになるかどうか」ということだけなのですから。