松谷鷹太郎先生

松谷鷹太郎先生が3月26日お亡くなりになりました。
先生は、戦争中に高野山の病院に勤務されたのをきっかけに、有田川町清水の押手でずっと医療活動に従事され、山の中に離れて済んでいる住民の健康を守って一生を捧げられました。
有田川町清水は、ずい分奥深い所ですが、先生はさらにその中でも旧花園村にほど近い人口も少ない押手を中心に、長い間がんばられました。診療所での診療 に加えて、さらに谷をさかのぼった集落にも定期的に出かけられていました。ともすれば無医村になりがちな地域において、松谷先生がいらっしゃったおかげ で、どれほど多くの人々の命と健康が守られたことでしょう。清水の方々がとても元気で前向きに常に活動しておられるのも、松谷先生が安心を皆さんに提供し て下さっていたからではないでしょうか。

私は、前の選挙の時、先生の家の前で近くの方々が集まって下さった時にお会いしました。人目で立派な 方だと思いました。先生も私のことを気に入って下さったようでした。知事になって、色々な企画をしましたが、そのうちの1つが『名人対談』というもので す。各界の「名人」とお話をし、その方の生き様を県庁HPで県民に広くお知らせをするというものですが、その第1号として松谷先生にお願いして対談させて いただきました。

先生は、御高齢になっておられますが、立派な御子息がおられ、幸いそのうちのお一人の良清先生が先生の志を継がれて、先 生を手伝って下さっていました。鷹太郎先生、良清先生と私と三人で行わせていただきました『名人対談』を是非お読み下さい。〈和歌山県情報館→ようこそ知 事室へ →名人対談 平成18年度3月18日(日) 〉

先生から最近お手紙をいただきまして、4月19日の「仁坂吉伸を囲む会」には行かせてもらおうと楽しみにしていたが、体 調をくずしたので行けなくなったが、券は購入させてもらっておいたという内容でした。その体調というのが深刻で、どうもあと1~2年の命だとおっしゃるの です。それでも診療は体が動かなくなるまで続けるとのことでした。大変だと思って、早くお返事をと思っているうちにNHKの医療番組の収録になり、出席さ れた良清先生にお会いし、お伺いした所、数日前まで仕事もしていたが、急に容態が悪くなったとおっしゃるのです。これはますますいかんと思って、お手紙を したため、御養生第一にと申し上げましたが、その後ほんのわずかな間にご逝去の報に接しました。

何とも残念なことです。和歌山にとっての大恩人の御葬儀に公務が積み重なっていて、出席することも出来なかったことを改めておわび申し上げます。

有田川町清水は、先生のおかげで救われてきました。
良清先生がいらっしゃって、先生の御遺志を継いで下さると思いますが、残された我々は、特に私のような行政の任にあるものは、県民の安心を守るために、特 にすべての人々への医療サービスを守るために、一層がんばらねばならないと思っています。天国の先生に心から感謝を捧げ御冥福をお祈り申し上げます。