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仁坂吉伸の思い

三尾 功さんを悼む

2012年02月06日

 昨年の秋、旧知の三尾功さんから、「城下町和歌山夜ばなし」という素敵な本を送っていただきました。さっそくお礼の電話を差し上げようとしましたら、ご入院中とお聞きましましたので、お手紙を差し上げました。
 そうしたら、12月末にご丁寧なお返しのお手紙をいただきまして、最近入退院を繰り返していたが、4回目の退院をすることが出来たとのことでした。知らぬこととは言え、そういうことも存じ上げなかったのは大変申し訳ないと思いました。
 何でも前立腺ガンがわかったのだが、かなり進行が進んでいて、もう手術も出来ない状態で薬で対症療法をしているが、このガンは進行が遅いので、これからの人生をさらにやり残した「根来寺史」などの研究に傾注したいとのことでした。しかし、それから間もなく1月17日、訃報に接しました。

 大変惜しい人を亡くしたと思います。私にとってはもちろんですが、和歌山にとっては大変な損失であると思います。お年とは言え、まだ80才、その博識をもっと我々に教え、そして記録に残してほしかったと思います。残念です。

 三尾さんは昭和6年和歌山市にお生まれになり、主として和歌山市の中学校の先生をされ、平成3年高松小学校の校長で退職されています。もともと、文化歴史及び文化財に大変な造詣があり、それを買われて、平成6年から14年まで和歌山市立博物館長(なぜか非常勤だったようですが)を務められていました。

 私がその謦咳に接するようになったのは私が知事になって帰って来てからですが、一目でこの博識はすごいと思ったので、お食事にお誘いしたりして、お教えを乞いました。和歌山市の町の作り方とか、ぶらくり丁など町人町の構造(東西と南北を再編した話)とか、お城の変遷とかの話を色々教えて下さり、和歌山市の古地図(今の地図の上に昔はどうなっていたかを重ねたもの)をいただきました。また、息子さんが優秀な方で、今はやりの金融ビジネスで稼いだお金で三尾さんのために、古い三尾家を昔ながらに再現して改築してくれた話をうれしそうにおっしゃっていたのが印象的でした。

 いつも思いますに、和歌山の市民力は、大変高かったと思います。商売でうまくいっている人がたくさんいて、その方々がまた文化の担い手として、自らが学識を磨かれたり、そういう能力、知識のある方を大事にした、それに後進の育成のために、成功した方々がけっこうな奨学金を出した、そういう所であったと思います。その中で三尾さんのような人を頂点にして、大学の先生とか公的機関のプロでなくても、アマチュアで文化や歴史を語れる人がいっぱいいた、そういう所であったと思います。
 しかし、時代は常に移ろいます。そういう文化の担い手であった方々の商売は段々と退潮し、もう1つの人材の宝庫であった教職員は、管理、管理で中々学識を磨けないでいます。そしてその中で、自分だけ儲かればいいや、そのためには権力者と結託して利益誘導をすればいいと考える人々が活躍するようになったのが官製談合や汚職の背景です。その中で、心ある人は眉をひそめ、嫌な世間からとじこもり、役人は旧態依然たる仕事の惰性の中に埋もれ、そして人々は、和歌山の文化や歴史のすばらしさについて知ることが段々となくなり、それでも「和歌山はこんなにええとこなのに、あんまり皆知らん」とだけ言って嘆息することを常とするようになりました。

 その中で三尾さんをはじめとする人々が和歌山の文化の伝統の孤塁を守って来て下さいました。子供にちゃんと和歌山のことを教えようという郷土教育を教育の柱にすえて頑張っているのも、そのために作った「わかやま何でも帳」を大人の方々にも見てもらおうと市販しているのも、三尾さん達の先達の思いを継ぎたかったからです。

 その最中に三尾さんという巨星を失ったことは、大変残念ですが、市民文化再興の運動の中で第二、第三の三尾さんが登場することを願ってやみません。
 三尾さん安らかにお眠り下さい。合掌

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