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官僚について
2012年03月19日
最近多くの方々に、「日本はどうなってしまうのでしょう。そういう時、今、国の官僚はどうなってしまったのですか。」と聞かれます。私も前職が国家公務員ですが、今でも知事はだめだという時に「官僚だから」という理由を付けられるように、官僚は、最近は悪者の代表のように言われ続けてきました。
特に現在の政権になってからは、政治主導の名の下に、その活用があまり熱心にされていないような気がします。その中でもとりわけ政権発足時には、官僚諸氏は政務三役の使い走りぐらいの役割しか与えられていないと思うような役所があちこちにありました。(その時政治家だけで考えた政策はその後どうなったでしょう。)
実は、昔から官僚への批判はたくさんあったのです。国政で何か不都合が生じたとき、批判、攻撃の矢面に立ってきたのは官僚です。しかし、段々と官僚の横暴がけしからんと言う声が強くなり、先を読み、必要と考える政策とその実行方法の提案こそが官僚の使命だと私は思うのですが、それが否定されてきました。それが新政権で極致に達したのではないでしょうか。
その結果、国の官僚達が、政治家に指示されたことしかしなくなり、提案をすることに躊躇したり、あるいは情熱を失っているような気がしてなりません。こういう事態が続くと、実戦から遠ざかっているスポーツ選手のように、優秀だとかつては言われた能力も衰えてきます。また、有能な人が集まらなくなってくるでしょう。
しかし、私に言わせれば、公務員として奉職している限り、上司の政治家の行動がどうであれ、日本のために考え、提案することを怠る権利など官僚にはないのです。考え、提案することをしない官僚はただの月給泥棒です。もちろん、官僚も、怠けたり無駄なことをしたり、集団として自分達の利益を守ろうとする組織的エゴイズムに陥ったりすることもあるでしょう。しかし、そういうことを官僚がしようとしても、上司である政治家がしっかりしていれば、実は100%防げます。それもしないで部下の悪口を言っている政治家がいかに多いことか。
私は、今県庁4,000人の官僚の上司である政治家です。県民のために、自己の責任のもと、この4,000人の有能な官僚の志を高め、彼らに県勢の発展と県民の幸せを考えて提案させ、その能力を最大限発揮させることが私の使命です。
