オランウータン

 オランウータンはお猿さんの中でも特に知能の高い動物と言われています。マレー語でオランは人、ウータンは森なので森の人という意味を持っています。ボルネオ島とスマトラ島の特産です。そうです。私のいたブルネイのあるあのボルネオ島です。昔はボルネオは熱帯雨林の原始の森におおわれた島でした。人々は森を征服することはあきらめて、ゆったりと流れる川の川口に水上集落を構えて住んでいました。台風の発生する地域のさらに風上(つまり南)なので、一年中穏やかな風上の海を舞台に川の民が海を渡って交易をし、暮らしていました。その中の勢いがあった一族が現在のブルネイ王朝の先祖です。

 しかし、西洋文明の洗礼は、このボルネオの島の生活を変え、そしてボルネオの自然までも変えてしまいました。圧倒的な森の力の前に征服できなかった陸地は機械力によって人間にひれ伏すようになり、川の民は陸地に、森を伐り、材木を売り、道を作り、立派な家を建て、町を作り作物を植えてどんどん森が少なくなりました。
 そして森の人、オランウータンもその住居がどんどん減っていったのです。
 ブルネイは、石油収入で暮らしているので、まだ随分森がありますが、近隣のマレーシアやインドネシアでは大規模に森が伐られ、最近では特にパームヤシのプランテーションが原始の森をどんどん駆逐しています。

 そして、オランウータンはどんどん減り、今ではマレーシアなどの保護区で細々と生き残っているだけとなっています。森がある程度残っているはずのブルネイでも、近年絶滅したと言われ、目撃記録はほとんどありません。しかし、私はブルネイのジャングルでオランウータンに会いました。と言うより会ったと信じています。

 ある週末、私は例によって寸暇を惜しんで、蝶採集になじみの森に出かけました。そこはバンダルスリブガワンの市街地からわずか1時間ほどの低い山の中の森ですが、多分昔ユーカリの植林をしようとして途中で放棄された森で、途方もなく大きな木が切り倒された後、放置された半原始林といった所です。ブルネイ特有の低湿地がちょうどこの辺から少し小高い山と谷になり、それが延々と奥地のマレーシア(サラワク州)国境まで続いているという、そんな地形の最初の地になります。多分昔大木をブルドーザーで引いて運び去った道が残っていて、軍隊が訓練用に時々使っていたものだから、まだ辛うじて緑に埋め尽くされず人が通れるといった雰囲気の所です。私が3年間の滞在のうちに見つけた数少ない好採集地なのです。

 その日、私はいつものようにこのジャングルの中の道を、ネットを片手にいい蝶はいないかとソロリソロリと歩いていました。(そうしないと驚いた蝶がはるか上の樹冠に舞い上がってしまうからです。)そうすると、森の中のちょっとした広場のようになった所の向こうの木立の中に、小学生くらいの人影ならぬ猿影を認めたのでした。彼は直径1mくらいあるような大木(と言っても前述のようにこの程度のは真の大木ではありません。)に左手をもたせかけて立っていました。顔は木立の中ですから暗くて不鮮明ですが、少し丸顔に見え、全身赤茶色の毛に覆われていました。
 私は右手にネットを持って、その柄にもたれかかるように立っていましたから、彼と私は考えてみると同じ格好で、約10秒くらいお互いを見つめ合ったまま双方が突っ立っていたわけです。そのうち、彼はのそりと動き始め、ゆっくりと木に登っていって見えなくなってしまいました。私はあまりのことに茫然自失、そのままそこにあと何十秒か立ち尽くしていました。あれは何だったんだろう。カメラでも持っていたら撮れたものを。今なら携帯でパチリ。しかし、それも多分出来ないぐらい衝撃的な経験でした。
 この森には、テナガザルの仲間の red leaf monkey(アカゲテナガザルとでも訳しますか)が分布していて、集団で樹上生活をしています。時々大声で吠えながら集団で木から木へと飛び移って移動していきます。私は始め、あの「彼」はこいつだろうと思いました。オランウータンは絶滅したと聞いていたし、オランウータンの顔はもっと長かったり、頬が張っていたりすると思ったからです。しかし、後に動物の専門家にこの話をすると、それは絶対にオランウータンだ、何故なら、アカゲテナガザルは決して地面に降りないし、二本足で立たないし、またゆっくりと動くことはあり得ないというのです。それにオランウータンの若い個体の中には、結構丸顔の奴もいます。それで、今はあれはオランウータンだ、私はオランウータンを見たと確信しているわけです。

 それが真実かどうかはわかりません。しかし、忙しい大使生活の中で趣味の蝶採りに森に入ったおかげでこんなにスリリングな経験も出来ました。和歌山でも、県知事職はもっと暇無しなのですが、時々は同好の士に連れてもらって山の中に昆虫採集に行っています。おかげでスリリングな経験もたくさんできました。少しは新しい発見もして、和歌山の学問的知見の向上に貢献もしています。それよりも、山の中に入って行けば、山合の地に暮らす方々の生活や、鳥獣害被害の猛威や林業の実態や、道のつながり具合など様々なことが分かります。
 それは、とりもなおさず、私が仕事として、対処しなければならない事柄です。自然大好きな人間に育ったことを親を始め多くの方々に感謝する次第です。