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仁坂吉伸の思い

麻生知事会会長の思い出

2012年06月18日

 麻生渡さんという方がいます。ついこの間まで全国知事会の会長を長く務められた、地方行政の第一人者で、福岡県知事を4期務められた後、平成23年に引退されました。
 前職は通産省の幹部で、特許庁長官を最後に生まれ故郷の福岡県知事に転職されました。私にとっては大変尊敬する大先輩です。

 全国知事会というのは図体も大きいし、各県の知事さんも一言居士ばかりなので、その舵取りはさぞや大変だろうと思います。特に時々開かれる知事会は、47人の知事が大テーブルを囲むものすごく大きな会議で、その司会は全国知事会長がするわけですが、一家言のある知事がどんどん意見を言いたがる中で、どうやってコンセンサスを作り、全体の方向付けをするかについては、並大抵のことではうまくいかないと思います。
 その知事会を麻生会長は、穏やかに、しっかりと、時には強引にまとめておられました。その技量たるや本当にすごいと思ったものです。私なんぞも、議事進行が必要な時に自説を言いつのって、「もういいじゃないか」とびしりとしきられた事もありますが、麻生会長がおられたからこそ、ここ6年間の全国知事会は政府に対しても、マスコミ、世論に対しても堂々と正論を述べ、影響力を行使できたものと思います。

 通産省(経済産業省)の時も麻生さんは、常に省の中枢にいて政策をリードしておられました。私にとっては、ここでも尊敬できる大先輩でした。
 いつも正義マンで大局で動かれ、かつ人倫をとても重んじる人であったと思います。
 私にとって、その麻生さんに大いに困らされ、そして大いに助けられた一つの事件があります。

 昭和62年初め、私は国土庁に出向し、大臣官房総務課の筆頭課長補佐として、国土行政の全体の企画や調整を任されていました。時は竹下内閣、ふるさと創生を掲げ、田中角栄以来の地方振興に力を入れた内閣でした。国土庁は多極分散型国土形成法を企画し、通産省は頭脳立地法を考え出したのでした。
 双方少々似たような法案ですから、そういう時はお決まりの権限争議で共倒れになったり、中々進まなかったりしかねないものなのです。そこで国土庁の参謀である私は一計を案じました。頭脳立地法やその前に出来ていたテクノポリス法やリゾート法は、ハイテク産業やリゾートといった一つのアイデアで地域作りをするものだけれど、多極分散法は地域の総合計画法である。だから、多極分散法の地域計画にはテクノポリスの要素も頭脳立地の要素も全部盛り込んで良いことにするが、その代わりに、実際にその部分を振興するのは、テクノポリスなどの主幹省庁として、言わば個別法のスキームの先取り特権を認める。
 そういう考えで双方の法案を認め合おう・・・ と言ったものです。そうして、国土庁内と通産省の担当部局を説得し、共存共栄を約束し合い、そしてまず先行していた通産省の頭脳立地法を閣議決定して国会に送り込んだのです。
 そして次に国土庁の多極分散法案を同様に処理しようとしたら、思わぬ横やりが入りました。それも共存共栄を約束してあるはずの通産省からです。担当部局を問い詰めると、官房総務課長の麻生さんが担当部局の言うことを断固として聞いてくれない。国土庁と約束をしてあると経緯を説明しても断固反対だと言っているとのことなのです。麻生さんはテクノポリス法を通した時の課長で、テクノポリス法には大変な思い入れがあり、テクノポリス法は、私が振り付けたような個別法ではない。地域のすべてを考慮して振興しようとする地域振興総合立法だと言っておられるとのことでした。

 内部の反対で外部との約束を破るなどは言語道断、何とも情けない通産省の担当部局なのですが、青くなったのはシナリオを書いて国土庁内を説得して了解をもらっている私です。その了解に基づいて、通産省の法案は通して上げているのですから、「だましたな」ということになるのです。それまで国土庁首脳に信頼感抜群であった官房総務課長補佐は一挙に裏切者になってしまいました。青くなっている私を助けてくれたのは、同じく通産省から国土庁に出向で来ておられた官房審議官で、通産省に乗り込んで朝の4時までかかって麻生総務課長を説得してくれました。それでやれやれなのですが、そこからが麻生さんのさらに立派な所で、自分が了解(通産省として了解)というだけでなく「了解したからには、ただ今以降通産省は国土庁を全面的に支援する。反対する省庁には私(麻生)も含めて、通産省からも直接出向いて説得する」と宣言されたのでした。実は弱小国土庁の多極分散法案は、対通産省戦線のみならず他のすべての戦線でも苦戦でした。各省が皆賛成してくれないと、いつまでも閣議決定ができなくて、法案が流れてしまうのです。
 そこに通産省全面支援というニュースが流れたものですから、一挙に形勢逆転、一両日中にすべての省庁がそれならまあいいことにしようと了解をしてくれることになったのです。結局はこの法案は、麻生さんのテクノポリス法にかけたロマンと情熱によって振り回され、続いて、麻生さんのいわば男気によって後押しされて成立したのです。私は、これにより、一時は裏切者扱いをされ、すぐにさすがあの通産省出身ということで尊敬をされることになったのです。

 多極分散法という法律はこうした経緯で出来ました。しかし、私も含め多くの戦士が去った後、法の運営をするその後の国土庁の人々によって、地域総合計画法の思想が忘れられ、いわば地域にとって端牌的なプロジェクトの助成法になってしまったのは残念でした。
 しかし、私の心の中には、立派な麻生さんの思い出の象徴として、いつまでも忘れることなく残っています。

  もうひとつ、私が麻生知事を目標にしている点があります。ある福島在住の企業幹部の人が私に言っていました。福岡県庁の人と話していると「麻生知事は厳しかったけれど、色々な事を県庁の人間は教えてもらったし、鍛えてもらった。麻生知事になって福岡県庁の人材は育ったと思う」と言うんですと。
 私の去った後、県庁の職員が自他共に成長したと言われるように、職員を育てていかねばならないと思います。既に大分手ごたえを感じていますが。

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