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仁坂吉伸の思い

井上成美

2012年08月27日

 井上成美(しげよし)という人がいます。海軍提督です。海軍の中では条約派の流れをくむ人で、冷静に戦争が起きればどうなるかを分析し、無謀な開戦の方に日本を引っ張っていく動きを食い止めようとした人です。日本が日独伊三国同盟に入るか否かの議論が起きた時、時の米内光政海相、山本五十六次官と共に、軍務局長として三国同盟阻止に体を張って反対した人です。
 この時は、一旦は三国同盟は流れます。ところが、この三人組が人事異動で退場した後、もはや海軍も反対をすることを放棄し、三国同盟は出来てしまうのです。(これが強行された時は、ドイツの電撃戦は止まり、そろそろ勢いを失いかけていた時であるにもかかわらずです。)時の嶋田繁太郎海相は、三国同盟に海軍が賛成する理由を問われ「だって陸軍がどうしても賛成なんだから国論統一のためには仕方がないじゃあないか」といった趣旨のことを言ったというのが有名な話です。

 そして日本は戦争に突入し、完膚無きまでにたたきのめされます。井上成美がもう一度歴史に登場するのは、敗戦処理をする海軍次官としてであります。
 そして敗戦、井上成美は歴史から消えてしまいます。戦後、旧軍関係の人々も、政治家として、あるいは経済人として活躍する人もいました。しかし、井上成美は、敗戦の責任を一切背負って自分は世には出られないと、伊豆の丘の上に逼塞してしまいました。当然食べるにも困る生活で、見かねた知己がサポートし、近所の子ども達に英語を教えて糊口をしのぎました。井上成美は、条約派、開明派の士官として、外国語も堪能で、外国のこともよく知っていて、西洋各国にも知己が大勢いて、その職歴を見れば戦犯に問われることからも最も遠く、一貫して戦争を避けようとした姿勢は、戦後日本のリーダーとして最も期待された人材だったのではないでしょうか。
 しかし、彼は、自分が一生懸命尽くし、結果として戦争に負けて解体された帝国海軍と、政府の一員として働きながら、祖国日本が敗戦の淵に沈むことを阻止し得なかった責任をとり続けたのです。
 井上成美はこうして静かに暮らしながら、一度激怒したことがありました。それは、追放を解除された嶋田繁太郎元海相が旧海軍の催しに笑顔で現れたときでした。「何の面目あって旧友に見えることが出来るのだ。」
 敗戦後、マッカーサーのGHQには、多くの日本人が関わりました。戦前のそれぞれの足跡を忘れたかのように、すり寄った輩も多くいたようです。しかし、私は、GHQが日本と日本人の底力を感じ、ある程度あるいはあの程度まで敬意と節度を持って日本を扱ったのは、井上成美のような礼節と信義を重んじるような、すり寄らない日本人がいたことが大きな働きをなしたのではないかと信じる者です。手のひらを返したように、自分だけが助かりたいと思うような、さもしい民の国だと思われたならば、連合軍の日本支配ももっと違った、より過酷なものになっていたのではないでしょうか。
 昨今、政治の世界を見ると、また激動期なのでしょうか、自分だけが助かりたいと思うような動きが目立ちます。ブームに乗って当選し、その政党人であることを大いにアピールしていた人達が、その所属する政党が人気がなくなったと見るや、政党色を薄めて自己をアピールしたり、人気政党に乗り換えて自己の保身や栄達を図ろうとしたり、大変さもしい感じがします。組織の栄衰は世のならい。その組織の目的に共鳴し、そして、その目的が達成されるように懸命に働いたとすれば、不幸にも時が移り、その組織の人気が落ち目になったとしても、信義に殉じてその組織と運命を共にする気概がどうしてないのだろうかと思います。何故ないのか、それは多分そういう人達は、本当は自分だけが可愛いからなのでしょう。
 
 私はこのような人達よりは、井上成美の誠実さと潔さを良しとします。多分、日本人の多くの人はそうではないでしょうか。本当に投票になったらそのような行動をされるのではないでしょうか。 
 それが、井上成美のような人の存在が、敗戦後の日本の再建を結局は助けたように、日本が混迷を脱して再び輝く近道だろうと私は思います

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