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もしもピアノが弾けたなら
2012年11月05日
もう何十年も前に流行った西田敏行さんの歌のタイトルです。
ピアノが弾けない、ダサイおじさんのちょっとした寂しさを淡々と歌って、私のようにやはりピアノの弾けない、音楽の不得意な、無骨な、そして、仕事ばっかりに一生懸命のおじさんの共感を得ました。この曲を、県立和歌山北高等学校の創立50周年の記念式典に出席させていただき、吹奏楽部の生徒諸君が見事に演奏をするのを見ていて思い出しました。ピアノだけでなく、楽器を自由に弾けるということは本当に素晴らしいですね。
私は、まったく楽器を弾けません。どうも仁坂家の一族は、音楽がだめのようです。父はスポーツ、母は絵を少々やっていましたが、音楽を楽しむという雰囲気はまったくありませんでした。どうも才能もないようでして、耳も少々遠いようで、人が内緒話をしているのがまったく聞こえません。また、少し音痴であります。世の中には第一級の音痴の人がいまして、この人は自分が音程が外れているのがさっぱり分からないようですが、私は少々ましで、外れていることは分かるのですが、自分の歌を正しい音程に修正しようとしても中々出来ません。従ってカラオケは、そこで人の美しい歌声を聞くのは大好きですが、マイクを持つのはとても嫌であります。
こんな私ですが、やっぱり音楽は素晴らしいと実は思っています。結婚をして、音楽の才のある妻とともに我が家にもクラシックや軽音楽や最近のヒット曲が持ち込まれました。また、娘がちょっとしたきっかけで、私たちのミラノ在住中にピアノでブレークし、国際コンクールを総なめし、コミュニティのコンサートに呼ばれたり、TVに出たりしたものですから、主として娘を各地に運ぶ「アッシー」君をしているうちに、イタリアの市民の人々が地域でどれほど音楽を愛し、育てる文化を育んでいるかということに触れ、感動を覚えたりしました。また、クラシック音楽の良さなども分かってきました。帰国後も、それなりに少々音楽を楽しんでいます。
そういう観点から和歌山を見ますと、たくさん素晴らしい所があります。さすがに「歌」を県名に冠する県だと思う次第です。カラオケがとっても盛んで、レベルの高い方もたくさんおられます。和歌山児童合唱団の長い活動の歴史やレベルに対しては、頭が下がります。りら創造芸術高等専修学校も張り切ってくれています。澤和樹さん、坂本冬美さんを始め技量の優れた音楽家が、若い人々も含めたくさん出ておられます。ウインズを始め和歌山で活動してくれている方々もいます。田辺高校など合唱や吹奏楽でとても優れた学校音楽があります。それから民謡も盛んで、毎年の大会には、全国から名手が集まります。各地で残っている伝統芸能の中にも優れた音楽性がうかがえるものがたくさんあります。県民文化会館の活動も頑張っていますが、それ以上に、民間の方々の音楽を中心とする活動は本当に素晴らしいと思っています。中には向山精二さんのように、自ら作曲し、オーケストラを指揮し、東京やトルコでも活動されている方もいますし、岡畑精記さんの緑風舎活動などはミラノの地域コミュニティ活動に一脈通ずるものがあって、市民文化の成熟性を表しているものと思います。
私は、まったく楽器が弾けません、ちょっと音痴です。楽器を弾きこなし、音楽生活を楽しんでいる人を見ると「もしもピアノが弾けたなら」とつくづく思います。しかし、音楽もいいもんだと分かるようになった今、私に出来ることは、和歌山で立派に行われている様々な音楽活動に対し、寄り添って、励まして、できるだけお支えしていくことだと思っています。
