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つぶやき
2012年12月31日
今12月和歌山県議会の本会議では、多くの素晴らしい議論がありました。私に対する答弁要求はなかったのですが、山田正彦県議の教育問題に関する熱弁は、心を打たれるものがありました。議論を踏まえて、私としても、当県における青少年の教育の充実にさらにいっそう力を入れて参りたいと思いました。
この中で山田県議は、いわゆるお役所言葉ではなく、きれい事だけでなく本音で語ろうではないか。そういう意味で、「ツイッター」のように自由自在に「つぶやいて」みようではないかと言われました。最近は、ツイッターやブログで自由に話すのを「つぶやく」と言うようで、大新聞も、このような意味で「つぶやく」という言葉を使うようになりました。
私はこの日本語の使い方に意義があります。つぶやく=呟く とは「ぶつぶつと小声で言う。くどくどと独り言を言う」(広辞苑)でありまして、山田県議のように、大声で、堂々としかも議場という公開の場で、理路整然と主張するのとは、まったく違います。
私などのように時間の制約がある者は、ブログやツイッターなどにはとても手が出せませんが、このようなネットを使ったおしゃべり文化が大はやりです。そして、ツイッターに投稿することが、そういった世界の用語として「つぶやく」とされたので、これが人口に膾炙(かいしゃ)し、大新聞でもツイッターを利用することがつぶやくと言われるようになり、ざっくばらんに議論することもつぶやくと言うことになってしまったのでしょう。しかし、そもそもツイッター=twitterの意味は日本語では(鳥のように)さえずるとかクスクス(キャッキャ)と笑うとかさえずるように喋るとかいった意味ではないかと思うのです。要するに軽くペチャクルということなのです。そして本来のつぶやくに相当する英語はmutterとかmurmurではないでしょうか。
つまらんことを言う奴だとお思いかもしれませんが、どうも我々は知らず知らずのうちにマスコミやネットも含む大メディアに言葉から頭まで操られているような気がするものですから、あえて、以上のようなことを指摘させていただきました。まさにぶつぶつと小声でつぶやいたわけです。しかし、芭蕉様も言っていたよなあ、「俗談平話を正さん」と。
このような見地から山田県議のご発言を表せば、「堂々たる議論をする」とか、敢えて奇矯な言葉を使えば「吼える」というに値するようなものでした。しかも雄々しくライオンのように吼えたわけですから、「獅子吼(ししく)」という言葉がぴったりだったと思います。
